相撲場、仕置場〔5950〕2019/07/31
2019年7月31日(水)晴れ
あづい。
しつこいけど、昨日の夜も、住吉野を走って帰りました。潮見台のてっぺんまで。で、そこから自転車で帰宅し、今朝は自転車出勤。この右端に停めてるベージュの折りたたみ号を踏んで漕いでの出勤。あづい。
住吉野を走って帰ったのは、昨日書いた住吉神社の相撲場の場所を、今一度調べてみたかったから。このしつこさは、大切ですね。他のことにもこれっくらいのしつこさを発揮してたら、偉人になってたかも知れません。
さて。昨日、日暮れの伊達野で、田んぼ仕事しているおじいさんがいらっしゃいました。頭から水かぶったような汗ビショの僕が、突然話しかける。驚いたと思います。でも、丁寧に教えてくれました。相撲場の場所。そう。そのおじいさんは知っていたのです。
教えてくれた場所は、昨日想定してみた場所よりももっと東。少し山が切れ込んだ、田島牧場へと上がっていく道の上り口の脇が、その相撲場の跡だ、と教えてくれました。そうだったのか。
こうやって地図を見てみると、たしかに、住吉神社の山道をそのまま延長していくと、そこになるね。この十字の場所。そこが神社の相撲場であった、というのは整合性が取れてます。
で、今朝、早速自転車出勤途上で立ち寄ってみた訳です。ですが、行ってみると、その正確な場所、配置がわからん。わかりません。もはや土俵の痕跡もなく、相撲場がどのようになってたのかも皆目わからん。目印になる、「高段巨岩」も、ちょっとわかりませんでした。
でも、この写真に写っている界隈であるのは、間違い無いと思います。ここに相撲場があり、旧暦9月13日の大祭には、山内の殿様もご来臨の大奉納相撲大会が開催されてたのは、間違い無い。
藩内でも有数の相撲大会だったので、力自慢、角力自慢が集まって、それはそれは賑やかだったと言います。
地理院地図ではこうで、1970年代はこんな感じ。昨日ご紹介した文章は、ここのことを表現してると思われます。
さて。今朝は短パン素足で出勤途中、ということもあって、山中へ踏み入って調査ができんかったです。今度、じっくりと探査してみよう。相撲場確定まで、あと少し。もうびっと。
そうそう。昨日のおじいさん、今も大祭はやってるけど、相撲はやってないとおっしゃってました。今年の旧暦9月13日は、10月11日。たぶんその頃、大祭があるので、そこで訊き合わせたらいろんなことわかるかも知れませんな。それまで僕が覚えちょったら、の話ですが・・・
それにしても、今は高速道路ができてしまい、閉塞感のある空間になってしまった、相撲場跡。みんなの記憶からここが有名な相撲場であった記憶がなくなってしまう前に、ちゃんとその場所を確定させ、記録として残しておく責務が、僕にあるような気がしてきました。
昨日書いた、相撲大会で喧嘩口論した輩を懲らしめる「仕置場」痕跡が残ってるのなら、そこでちょっと仕置されてみたい。みたくないですか?