阪急電車が呼び覚ます大阪万博の記憶〔5933〕2019/07/14
2019年7月14日(日)薄曇り
朝の蛍池。今朝も、まだ大阪。朝6時半過ぎの阪急蛍池駅ホームに、梅田行き急行が滑り込んできます。おなじみ、あずき色の阪急電車。
僕が阪急電車に初めて乗ったのは、昭和45年。1970年の、夏。これはもう、絶対に間違えようがない。大阪万博のときだから。
1970年の大阪万博は、日本にとって色んな意味で重要な役割を果たしたし、あの頃9歳だった僕にも、強烈な体験でありました。あずき色の阪急電車を見ると、1970年を、思い出す。
あの年の夏休み、小学校の同級生たちの多くは、大阪や関西の親戚んちを頼って上阪し、万博へでかけてました。僕も含め、多くの友人たちは生まれて初めての関西。
僕ら家族が泊まったのは、阪急神戸線沿いの親戚んち。泊めてくれたおじさんおばさんは、もう他界されてるけど、あのときは本当にお世話になりました。あの年、関西に住んでる人たちは、全国から親戚なるものが泊まりにきて大変だったでしょうな。そんな時代だったもの。今ならホテルへ泊まるんだろうけど。
で、阪急電車に乗った記憶は、鮮明に、あります。でも、どうやって千里の万博会場へ行ったのかは、まったく記憶がございません。地下鉄に乗った記憶は、あります。生まれて初めての地下鉄で興奮したけど、乗ってすぐに地上へ出て、地上ばかり走るのですこしガッカリした記憶も鮮明だ。僕は少し鉄っちゃんだったから。
今思えば、阪急で梅田へ出て、御堂筋線で北上したんでしょうな。北へ走るとすぐに地上ですきんね。
そもそも、大阪万博へのアクセスってどんなになってたんだろう。そう言えば、知らない。大阪モノレールができたのは1990年だからね。あの、凄まじい数の人々がどうやって千里丘陵のあの場所へ向かってたのか。
調べてみると、北大阪急行電鉄の「会場線」というのがあったのね。知りませんでした。北大阪急行は、地下鉄御堂筋線を北へ走ると、江坂で乗り入れて千里中央まで走るあの電車。
今の千里中央駅のすぐ南に、仮駅としての千里中央駅ができたのが1970年2月24日で、同日、万国博中央駅までの「会場線」開通、とウィキに書いてます。そして「会場線」は万博終了後の9月14日に廃止されて廃線になったんだそう。知ってました?
廃線跡がどうなったか。気になるではないか。
どうやら現在の中国自動車道上り線が、その廃線区間らしい。なるほど、痕跡が見当たらんはずだ。
ともあれ1970年の僕らは、阪急神戸線で梅田、御堂筋線に乗り換え江坂から千里中央仮駅、そして会場線で万博へ向かった訳ですね。たぶん。
今はこんな風景で、十字の場所が千里中央駅。その右に万博会場があります。今だと、なにも開催期間ちゅだけの仮線にする必要もないくらい住宅地だけども、万博前はこんなんですきんね。そりゃあ、さすがの阪急さんも本線つくるのはね。ちょっとね。そんな風景が、これ。
もう、あれから50年。あの万博から半世紀。
生まれて初めて乗った阪急電車のイメージカラーはあの時と変わらずあずき色。だから、阪急電車は、半世紀前の僕の記憶を呼び覚ます、特別な電車なのであります。