朝靄の物部川〔5931〕2019/07/12
2019年7月12日(金)晴れ
今朝は晴れ。梅雨の晴れ間。朝靄がすごいね。夜明けとともに晴れ上がってきたけど、夜明け前は、一面に靄がたちこめて、幻想的な雰囲気になってました。こんな風景も、良い。
写真は今朝、4時半過ぎの物部川。会社の裏手。本当なら向こうに三宝山が見えてるはずなんだけども、朝靄にけぶる、物部川。
昨日、川の名前の話、書きました。かつて、物部川は鏡河と呼ばれたことがあるとかないとか。香我美町、香美郡などは、その名残という話もありましたね。
物部川が物部川であるのは、この写真の界隈、つまり弊社のある界隈、つまり下流河口部一帯が物部郷であったから。もちろん、かの物部氏に関係する地名。にっこり読者の基礎知識。
昔は、色んな場所で、色んな呼び名があったと思われる一級河川、物部川。源流は白髪山の東側。
現在、物部川の本流は、こっち側。国道195号に沿って流れるのが本流物部川で、大栃で北から合流してくるのが上韮生川。かみにろうがわ。こうやって見ると、どっちが本流でも良さげですが、国交省的にはこっちが本流ね。
国交省的には本流物部川である訳だが、地元では槙山川と呼ばれてたりも、します。そう。槙山を流れてくるから。
槙山は、大栃から物部川上流一帯。近世には槙山郷、近代になって槙山村となり、昭和の大合併で物部村、平成の大合併で香美市になりました。あの山中が「市」というものすごいけど。槙山という名称は、今も地元で親しまれ、使われてますよね。
手元に、槙山出身の宮地たえこさんという方が書かれた短編集「槙山のそら」という本があります。槙山、奥物部での暮らし、息遣いが聞こえてくるような珠玉の短編集は、一読の価値、あり。
物部川。
仏像構造線が刻む谷を流れる物部川は、香長平野に出ると、流路を網の目のようにめぐらし、時の変遷の中で幾度も流れを変えてきました。治水地形分類図を見ると一目瞭然。
野中兼山以降、大きな堤防によって本流はここに固定化されています。が、今も地形に旧流路が名残を留め、たくさんの水路が大河物部の流れを感じさせてくれています。
この写真の場所も、昨年の大雨による増水で、堆積した砂礫の形状が変わってしまいました。堤防がない時代は、この扇状地全体で、そんなことが果てしなく繰り返されてきたことだろうと思う。
昨日の鏡川とはまた違う歴史、変遷。
常に変わる地形、常に変わる歴史の中で、僕らは暮らしてきた、ということを感させてくれる風景。