川の名前とロマンチック〔5930〕2019/07/11
2019年7月11日(木)雨
そんな訳で川の話を続けよう。
写真は、今朝の鏡川。中の島の堤防の下。迂闊にも、全然気付かんかったけど、堤防の下はこんなことになってました。なんですかね。ハマボウですかね。今の時分に、オクラみたいな花を咲かせるといえばハマボウ。浜に生える朴だから浜朴で、ハマボウ。
河口の、汽水の、満潮時には冠水する場所で、こんなにもキレイに黄色い花を咲かせる樹木が植えられてたこと、知らんかった自分が情けない。いつ植えられてたんだろう。堤防の向こうへ降りることがない証左。こんなことではいかんいかん。家の目の前なのに。
鏡川河口。そう。この川は鏡川。
幾度も書いてきたけど、この川に鏡川という美し名前をつけたのは、5代藩主山内豊房公と言われてますね。そもそも鏡川と呼ばれてたのは、うちの会社の裏手を流れる物部川であった、とかいった話しも、あるけど。
で、昨日、川の呼び名は、同じ川でも流れてる場所によって変わってくる、といったこと、書きました。でも今は、河川法で、一つの川には一つの名称と決められてるんだそう。まあ、法的にはそうしちょかんと管理上めんどくさいだろうしね。異存はありません。
でもそれはそれ。地域の人がそれぞれの呼び名で呼ぶのは、勝手だ。
鏡川。今は、工石山の源流からこの河口まで、全部鏡川。河川法はエラいのである。
でも、昔はいろんな呼び方がありました。
長宗我部地検帳には、この界隈は「潮江之川」「潮江川」「潮江福良川」という記載があるそう。単純に「潮江川」でないところに、川の名称の難しさがありますな。そして朝倉~旭付近は「いづみ川」。
そのほか、時代によって、場所によって、色んな呼び方があります。
「鴨部川」「鴨目川」そして「雁切川」などなど。「雁切川」は、その名の通り、首切り場があったから「雁切川」ね。
高知商業高校の辺りは「大川」と呼ばれてた、と、南路誌に書いてるらしい。大川と言えば、長宗我部地検帳では、今の江ノ口川が「大川」。
と、まあ、川の呼び名は地域地域で個性的であった。上に書いたのは鏡川でも下流域の名称だけども、旧鏡村とかの上流域では、また、それぞれ色んな名前で呼ばれていたに違いない、鏡川。
今日のネタは、角川書店「高知県地名大辞典」を元にしてます。ありがとう、角川書店。
で、「鏡川」の項目の中に、鏡川を題材にした短歌とかも紹介されてます。その中の一首。
鏡河 浅瀬の波を脛にあげて いわたらす子は 誰が思ひ妻
かの、藩政期後期の万葉学者、鹿持雅澄先生の歌。なるほど。妻か。
高知城には「愛妻之碑」がある、鹿持雅澄さん。安芸の大山岬にも、あります。妻想いの、鹿持雅澄さんで有名ね。
たぶん、「いわたらす子」は、児童ではなくて、若い人。万葉集では、「児」は児童ではなくて大人を表したりしてますきに。で、万葉集の影響深いこの歌にも、想い人のことが表現されてる訳で、とても固いイメージのある古典学者、鹿持雅澄さんは、実は恋愛大好きのロマンチストであったのではないか、と思ったりする訳であります。
雨の河畔。雨の打たれる黄色い花。こんな風景にロマンチックが止まらない。