セピア色〔5928〕2019/07/09
2019年7月9日(火)薄曇り
昨日は走って帰りました。家まで走った訳ではありません。潮見台ニュータウンのここ、標高147mのところに、お昼のうちに、僕の「ベージュの折りたたみ号」を運んでおく。で、ここまで走り、ここからは自転車「ベージュの折りたたみ号」で、家まで帰ったのでありました。
昨夜のルートは伊達野、向山からの尾根伝いね。
高知東部自動車道のなんこく南インター脇から、知る人ぞ知る、長い長い階段があります。高速を車で走ってたら見える、高速脇を山へと上がっていく階段。登り口は、わかりにくいっす。
その階段をここまで駆け上がる。一気に駆け上がる。
そうそう。昨日は、夕刻から少し雨が降り始めたので、喜び勇んで走り始めたのに、やんでしまった。ちょっと残念だったけど、急坂を駆け上る負荷の苦し心地良さは格別ね。
駆け上がった場所は、インターができるまではこんな感じで、手掘りのトンネルとか塹壕とかの戦争遺跡がたくさん残る山でした。すっかりと姿を変えてしまった向山。
潮見台につながる尾根道も、高速道路で分断されてしまって通る人も居なくなり、荒れ放題。夕闇迫る山中を藪漕ぎしてしまいました。しかも、Tシャツ短パンで。せられません。足がバラで引っ掛かれ放題だ。いやはやまったく。考えが、ない。
でも、切り倒された樹木や枯れ木が散在している。薄暗かったけど、どうやら粘菌の宝庫のよう。近寄って観察しようとすると、裸の足に蚊が寄ってくる寄ってくる。ので、昨夜は粘菌観察断念しました。今度、長袖長ズボンで走ってみようと誓いました。どうでもいいですか?
時間は流れ、風景は変わってゆく。
今朝の写真は、自転車出勤途上にある廃屋前。コンデジのセピアモードで撮影してみました。こんな廃屋をセピアで撮ると、古い写真みたいね。まるで。
でも、道路に止めた「ベージュの折りたたみ号」が、現在の写真であることを証明してます。
セピア色は、「セピア色の思い出」などと言われるように、昔のことを懐かしむとき、使われる言葉。そうそう。僕らが子供の頃の写真は、セピア色だ。僕が生まれた頃の写真は、白黒。カラー写真が一般的になるのは、そのちょっと後。そして僕の写っている白黒写真は、セピア色。昔の写真は、時間の経過で変色し、それをセピア色と呼んでいた。
デジタルの時代になり、写真データは変色しなくなったから、今の写真はセピア色にはならん訳だけども、昔懐かしい思い出を今も「セピア色の思い出」と表現したりする訳ですな。
そもそもセピアとはなんぞや。イカ墨のことなんだって。ウィキに書いてます。イカ墨由来のインクを、つけペンのインクに使用していて、その色がセピア色なんだそう。写真が黄ばんで変色した色がそれに似てるから、セピア色。
このにっこりひまわりも、始めてから16年以上経過する訳だけども、16年前の写真も、まったく変化なく撮影した時のままの状態で、見れます。古さや時間を感じること、ない。写っている建物とか人物を見て、懐かしく思うくらいね。この、UFO船みたいに。
時間の経過を視覚で感じる、というのは、ひょっとしたら贅沢なことなのかも知れない、と思いました。
今はこうやってデジタルでセピア色にできる時代。こうやって見てみると、普通にカラーでありのままを撮るよりも雰囲気が出ます。
時は流れ、風景は変わってゆく。だから、「今」を写真や映像にして残しておくことは、とても重要なこと。現在残している「今」は、年月が経過しても、ありのままの姿で残っていくんだろうね。未来、それを見たときに感じる懐かしさと、今、昭和40年頃の写真を見て感じる懐かしさは、同じなんだろうか。