現代社会と横断歩道橋〔5927〕2019/07/08
2019年7月8日(月)晴れ!
梅雨とは思えん、良いお天気の月曜日。爽やかな風が吹く。
昨日、半世紀前の鏡川は、今より水質悪かった、てな話を書きました。そう。実社会の動きに規制やインフラが追いつかない、という事態になっていた、あの頃。
それで思い出したのが、横断歩道橋。
昭和40年頃から全国的にたくさんたくさん作られた、横断歩道橋。高度成長の社会。どんどんと自動車の数が増えるけど、道路整備が追いつかず、慢性渋滞が発生する。そんな時代だったので、渋滞原因となる横断歩道や信号の認可がなかなか難しかったといいます。また、交通事故による死傷者の数も激増していたので、対策が急務だった。
そこで建設されたのが、横断歩道橋。
あの頃、慌てて整備されていったもの。思い出してみよう。僕が思い出すのだから、高知の話ね。
まず、歩道の段差解消。あの頃、歩道は、交差点であっても、車道から段差があった。自転車とか、いちいち段差を上がって下りて、とやってました。そこで、交差点とかの部分がスロープになって段差が解消されたのが、あの時代だった。
歩行者用信号機。ウィキによると、日本で最初に歩行者用信号機が設置されたのが昭和41年。あの頃だ。高知ではかなり遅れての設置だったので、僕らが小学生の頃、歩行者用は少なかった。
そして、あの、世の中が右肩上がりの時代にたくさん作られたのが、横断歩道橋。
今も、道路を走ってると、たくさんの歩道橋が架かってますよね。ところが、自分で歩道橋を歩いて渡る、という機会がほとんどないので、そこに歩道橋がある、ということを忘れてしまうくらい、存在感の薄い存在になっているのが、現在の歩道橋だと思う。
そう。今は、社会が変わってしまった。まず、道路インフラが整備されて、横断歩道や信号機を設置する場所、技術に困難がなくなってしまった。そして高齢者が増え、バリアフリーの必要性が高まる。何よりも「歩行者優先」の意識ね。
昔は、自動車を円滑に走らせること、というのが最大の課題であって、それで人身事故が起こるなら、「人」に、車を避けてもらおう、という感覚だったんでしょうね。だから、横断歩道橋。
ここは、鏡川大橋北詰。今朝、3時半過ぎの静かな静かな交差点。常磐町の歩道橋で、向こうが若松町。この場所ね。
1970年代の航空写真では、この歩道橋は見えない(もちろん鏡川大橋も、ない)ので、それ以降につくられた歩道橋。三菱マークみたいな、個性的な歩道橋。
ここは現在、高知でも有数の渋滞交差点。だから、歩道橋、というのもわからんでも、ない。
しかし。こないだ、この向こうの焼肉屋のおばちゃんが、夜、歩いて道路渡ってて車にはねられ、重傷を負われました。それで思い出したのですが、この向こう、よく、人が道路を歩いて渡ってます。信号も横断歩道もない場所で。危ないな、と思ってました。
事故の後、考えてみた。ここに歩道橋があるので、人が歩いて渡るには、歩道橋を渡るしかないのが、この交差点。それか、向こうのあの信号のところまで遠回りするか。高齢者にとって、それはどうなのか。
さて。
上に「実社会の動きに規制やインフラが追いつかない」と書いたけど、この場所に、そんな事態が起きていないだろうか。今。この社会で。と、考えてしまう。
実際全国的には、歩道橋が撤去されていっている、という話も聞きます。
さあ。実社会と歩道橋。難しいけど、歩道橋を歩いて渡りながら考えてみよう。