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衣笠〔5900〕2019/06/11

衣笠

2019年6月11日(火)晴れ

晴れてます。昨夜は、走って帰りました。なので今朝は自転車出勤。昨夜、降りましたねー。夕立みたいに降りました。今朝は雨上がりの朝、といった風情で、景色が美しい。ここは衣笠。今日は五台山の南、下田川沿いを自転車で走ってみました。稲生の、石灰工場が並ぶところの北東山裾。古い古い集落で、かつては衣笠村でした。この建物が衣笠公民館ね。

 

稲生村という村が成立したのは明治になってからで、それまで、ここは衣笠村。この美しい村名は、紀貫之が京都の衣笠に模して命名した、といわれてます。

京都の衣笠は、金閣寺とか大文字山とかがある界隈ね。なんでも、宇多天皇が、夏の最中に雪が見たいと言い出したので、白絹をかけたという故事から「絹かけ山」と呼ばれ、衣笠山になった、という話。わがままにもほどがある。宇多天皇。

 

宇多天皇は9世紀末頃の人。紀貫之が土佐へ赴任してたのは930年から935年。だから、宇多天皇の発言が衣笠の由来になったのが本当だとすると、土佐の衣笠は、京都の衣笠に遅れること半世紀以内に命名された、ということに、なる。

 

さて。ここで問題が発生。

実は、京都の衣笠の上の伝説は、どうやら後付けのものらしい。そうですよね。あまりに話が美しすぎるし、藤原氏が強力であった時代に、天皇にそれほど駄駄を捏ねる余裕があったとも思えないし。実は衣笠、遺骸を覆い隠す布のことらしい。

京都の北西部は、当時、葬送の地として開発が進んでいたと言います。京に住む人たちが亡くなると、その地へ送って葬られた。そして当時は、遺骸にそのまま藁や布をかけて放置し、風葬にするのが一般的だったんだそう。その、遺骸にかける布が衣笠。そんなことから、衣笠と呼ばれる地名ができたんだのが、どうやら本当らしい。そんな由来だと嫌なので、後で、宇多天皇の話がつくられたのかも知れない。

 

この話が本当だとすると、だ。

その時代と、ほぼ同時代人と言って良い紀貫之が、衣笠という地名の成り立ちを知らなかったはずはない、と、思われるではありませんか。

「角川日本地名大辞典高知県」によりますれば、土佐の衣笠村には、6~7世紀にかけてのたくさんの古墳が見つかってます。そして、県下最古と思われる、奈良時代中期に火葬墓に使用されたと思われる骨壷も、見つかっているんだって。そんな土地につけられた「衣笠」という地名。う~ん。示唆的だ。

 

さて。どうなんでしょうか。

京都の衣笠に模した地名、と言うといかにも風流だけども(こないだ、山の北側の伊達野と比して、そんなこと書いたばっかしやけど)、こうやって見てくると、真相は違うところにあるのかも、知れませんね。

本当のことは、わからない。真相は、わからない。たぶん、永遠に、わからない。

 

だから、衣笠は、美しい伝説とともに、これからも衣笠であり続けることだろう。それで良いのだ。そう。それでいいのだ。ボンボンバカボンバカボンボン。

山の上には潮見台団地ができ、頭上に東部自動車道が通ったけど、今も変わらず美しい衣笠村。

この道のもうちょっと向こうに、紫陽花がたくさん、咲き誇ってます。


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