室岡山と道後〔5871〕2019/05/13
2019年5月13日(月)薄曇り
昨日の夜の会合は、土佐史談会の定期総会と懇親会でした。僕にとっては私的なもので、なかなかに楽しい世界、ストレス発散の世界でも、あります。総会に参加されるのは、理事役員の他、県下各地で郷土史に関わって活躍されている評議員さんたち。だから、みんなそれぞれ、マニア。詳しいし勉強してるし、マニアだし。そんな人たちとの懇親会が僕にとって楽しくない訳が、ないのでありました。
また、こういった世界では、自説を曲げない方や、攻撃的になる方も多いので、論争になったり雰囲気が悪くなったりしがちなんだけども、現在の土佐史談会は、会長副会長のチームワークと役割分担、組織運営が絶妙で、とても良い雰囲気の中で過ごすことができるのが、何より嬉しい。
面白かったのは、懇親会で隣に座られた四万十市のTさん、その隣の、土佐清水市のTさんの、中世幡多郡の話。土佐一条氏と加久見氏の関係とか、以前に探検した香山寺と、その麓に栄えたとされる港町の話などなど、僕のツボ。香山寺、興味、ないですか?
では、興味がありそうなお話を、ひとつ。初めて、親しく懇ろにお話させて頂いた、南国史談会のF会長さん。いや、面白かった。「僕の話は、学術的なものではなくて、とんでもないような話が多いので、学者さんたちに受けが悪いがよ」とおっしゃっておられましたが、南国市の各所に伝わる伝説や昔話の類いに滅法詳しく、それを、あたかもそこで見てきたように話される語り口は最高でした。
酔っ払いの頭で聴いた話なので、正確詳細に覚えてないのが、悲しいけど。
例えば、ここの話。この写真。
今朝は4時前に出勤し、週初めの掃除やら、数値確認とかを済ませて、4時半頃にここへ行ってきました。高知空港。日章の飛行場。滑走路南東端の道路から撮影しました。この照明器具は、飛行機の誘導灯ね。シャッタースピードを落として撮影してるので、実際は、まだ暗い滑走路。
ここに戦前、標高28.2mの小山「室岡山」があった、という話は、幾度も幾度も書いてきました。地元では「命山」と呼ばれ、洪水や津波の際に、人々が避難してきた命の山。海軍が飛行場をつくる際、取り崩された室岡山。
その室岡山と、いつもお参りする野市、上岡八幡宮さんの上岡山は、双子のような山だったと言います。
むかしむかし。鬼が、天秤棒で荷物を運んでいたそうな。その鬼が、この、物部の地にやってきた。地元のひとたちが、これは大変と、鬼を退治しようとしたら、その鬼、天秤棒の荷物を置いて逃げていったそうな。残された荷物が、今の、室岡山と上岡山という訳ぢゃ。むかしまっこう、さるまっこう。
こんな話だったような微かな記憶が、あります。違ってたらごめんなさい。いや、たぶん、かなりFさんの話とは違ってると思う。こんなふうに、伝説や伝承には、尾鰭がついたり尾鰭が取れたりしながら広がっていくんだろうね。いや、上の話は僕の酔頭に残ってた微かな記憶だから、アテにはならない。
でも、もう一つ覚えてます。
ここにあった室岡山の北側。それこそ、今の滑走路か空港ビルの辺りでしょうか。そこは、小字(ホノギ)名が「道後」。
なんでも、昔、そこからは温泉が湧き出ていたそうな。それで、有名な道後温泉にちなんで、ここも「道後」と呼ばれるようになったとか。うっそ~!という感じではありますが、ちゃんと伝説伝承で残ってる、話なんだって。僕のような酔うたおやじが、「確かこんな話を聴いたぞねや」と話したものが広がったんだったらどうするつもりだ、酔うたおやじ。
他にもたくさん、楽しい話を聞きました。もったいないので、またの機会に、ちょっとづつ紹介していきますね。正確には覚えてないけど。
そんなこんなで頭と身体をリフレッシュして迎えた週の初め。良い気分。こんなことも、人の社会生活にとっては大切だと信じてます。言い訳がましいですか?
さあ。張り切って仕事仕事!