16年前と同じ場所〔5870〕2019/05/12
2019年5月12日(日)晴れ!
そんな訳で飲んだ飲んだ。昨日は、午前中一仕事済ませてから家に車を置き、汽車に乗って土佐山田。味心さんという、お刺身や唐揚げ、天ぷらが美味しいお店で、JA土佐香美酪農部の最後の総会と歓送迎会。最後と申しますのは、JA土佐香美が高知県農協になって、名称が変わってしまうから。ナントカ支部みたいな名称に変わると言うてたけど、これからも、同じ組合員さんと関係者で、同じように続いていくことは、確認できたので良かった良かった。
毎晩、なにがしかの宴会が続き、一昨日は大切な送別会で25時まで飲み、昨日は11時半から、飲む。17時前の汽車に乗って、高知へ帰ってくるまで、飲みました。
今日は日曜日。だけども、午後に、ある会合の総会があって懇親会。高知県人の僕は、今日も飲めることに幸せを感じなければならない。ならないのか?
ともあれ、身体に溜まった毒素やアルコールを抜かんといかん。せっかく成功したダイエットも、リバウンドしては元も子もない、てな訳で、今朝、6時に家を出て走ってきました。南の山。
鏡川沿いを走って筆山へ。筆山の車道を駆け上がる。途中、筆山霊園方面へと曲がり、得月楼さんの墓所があったりする界隈の山道を駆け登る。そして高見山へ。
実は、このルート、粘菌がいないか、と思って採択してみた訳だけども、走りながらではよう見つけませんでした。もうそろそろ粘菌シーズンのはずなんだけど。
ともかく高見山の山頂を一気に征服してから土佐塾高校の山、北中山へと進みました。
途中、鷲尾山への登山ルートからはずれて、灌木や竹薮の中を走ると、ここに出ました。土佐塾中高等学校の、後者の裏手。この風景、なんか、僕の記憶を刺激する。そうだ、16年前だ。
16年前、2003年4月20日の、にっこりひまわり。まだ、にっこりひまわりを書き始めて4日目。今日が5870日目。まさか、こんなに続けてしまうハメになってしまうとは、夢にも思っていなかった41歳の、僕。
あの時の写真と同じようなアングルで、撮影してみました。
校舎は、そのままだ。あそこが食堂。
土佐塾中学、高等学校が開校したのは、1987年。昭和62年か。平成になる前々年ね。僕は入社して3年目で、営業部へ異動になり、直売担当として学校関係も担当しました。そして、ここに開学した土佐塾中・高等学校さんへも、自動販売機のことやらなにやらで、よく、訪問させて頂きました。あれからもう、32年。
ここでにっこりひまわりの写真を撮ったのが16年前。だから、開学して現在までの、丁度半分なのか。
同じ、山道通行禁止の看板と「わしお山」方面への矢印。
よく見ると、看板、文章は同じだけれども、文字の配列とかが少しづつ、違う。まったく同じ文章の、2代目の看板なんでしょうかね。「わしお山」の方のは、16年前と同じものだと思われます。
で、僕は土佐塾中・高生でなないので、この山道へと駆け下ってみました。
ここは、この十字の場所ね。で、こっちの方面へと行くつもりで藪を漕いでいきました。ところが、鬱蒼とした山道がつながってたのは、ここ。みかん畑。
今から50年近く前。
追手前小学校高学年の僕たちは、よく、鷲尾山登山をしてました。あるとき、高見山から鷲尾山方面へ歩いてるときに、友人のタナカタケシ君たちと、登山道を外れたコースを行ってみることにしたんですね。藪漕いで。地図もなしに。
あのとき、まったく道のない、でも藪の中に古い石垣があったりする斜面を、かなり苦労してよじ登った先が、今日たどりついたそのみかん畑界隈だったんだと、思います。そんな記憶が蘇る。
50年近く、前。32年前。16年前。そして、今。アッと言う間。学校もなかったこの界隈をたつくったのは、つい、昨日のよう。
日曜の朝、アルコールが抜けた、良い時間が過ぎてゆく。