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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

平成は最後まで70万人代だった〔5866〕2019/05/08

平成は最後まで70万人代だった

2019年5月8日(水)晴れ!

昔、こんなノベルティグッズを作ったりしてました。宅配契約をして下さったお客様に配ったりするコップね。あと、工場見学に来てくれた方には鉛筆配ったり。

このコップに書かれてる社名は「ひまわり南海乳業」。そう。昭和48年から10年間、弊社は「ひまわり南海乳業」でした。

 

昭和46年に愛媛県の松山市へ進出し、それを機会に、それまでの社名「高知牛乳食品株式会社」を「ひまわり乳業株式会社」に改める。そして、その翌々年、土佐市高岡町に所在する南海乳業と合併、「ひまわり南海乳業」になった、という歴史。ロングセラー商品である「リープル」は、そもそも南海乳業の商品として製造されてました。

 

土佐市高岡町の、南海乳業の工場は、しばらくひまわり南海乳業土佐工場として稼働してました。僕が入社した昭和60年頃まで。入社して南国工場勤務を始めたとき、丁度、土佐工場を閉鎖して南国工場に統合したばかり。土佐工場からやって来て戸惑う従業員さん達と一緒に仕事をしたこと、よく覚えてます。

 

昨日、南国市成立の話を書いたので、今朝は土佐市ね。土佐工場があった、土佐市。

土佐市が成立したのは、やはり南国市と同じで昭和34年のこと。この時は、高岡町がそのまんま、土佐市に移行してるんですね。その前年、高岡町は宇佐町、新居村を合併してました。更にその3年前には北原村、高石村、蓮池村、波介村、戸波村を合併してるけど、とにかくずうっと高岡町。近世以来の高岡村から、ずうっと高岡。

だから、普通に考えたら高岡市になるのが当然でございました。

でも、できなかった。その理由は、富山県に、明治22年から高岡市が存在したから。混乱を避けるために、別の名前を考えよう、そうだ、土佐だ、土佐市にしよう、となった訳ですね。知らんけど。

 

だから、僕らは、土佐工場のことを「高岡の工場」と呼んでました。今でも「土佐市」と呼ばずに「高岡」と呼ぶヒト、多いですよね。

日本地名大辞典によると、「高岡」という地名は、高い丘陵台地であったことに由来する、とある。洪積台地の上に位置するのが高岡だ、と。でもね、地理院地図の土地条件図で土佐市中心部を見てみたら、こう。どこをどう見ても洪積台地なんか、ない。ないではないか。地盤の緩い氾濫平野に、現在の市街地が形成されている。そもそもの高岡ってえのは、どこだ?

平安時代初期、嵯峨天皇の皇太子だったのに薬子の乱に巻き込まれて皇太子を廃され、数奇な運命の後に空海の弟子となったという高岳親王は、この十字の場所にある清瀧寺までやって来て五輪塔を建てたという伝説に彩られてます。

高岳親王は、仏教を極めようと唐に渡る。そして天竺に向けて旅に出たまま、消息を絶つ。すごい人物でした。

 

高岡町と高岳親王。洪積台地よりは関係がありそうだけども、どうなんだろうか。続日本紀に、高岡郡が新設されたのが承和八年(841年)と、ある。高岳親王が土佐へやって来たのは、丁度その時代みたいなんですけどね。知らんけど。

 

ところで土佐市の人口は約28000人。高知県では第6位。香南市よりはずっと少なく、香美市とブリカンじゅう、人口。

 

人口で思い出したけど、そろそろ高知県は70万人を割り込む、というのは、知ってます。そこで高知県のホームページを見てみたら、平成31年4月1日現在の高知県の人口は、なんと、700,059人。おう。誤差の範囲だけども、なんとか59人分だけ70万をキープしていた平成時代。

でもたぶん、令和の現在は、間違いなく60万人時代に突入してますな。

令和の高知県は、60万人代なのだ。

 

平成元年、82万人だったのが、平成17年に80万人を割り込み、平成終了と同時に70万人を割り込んだ高知県。平成最後の月が700,0059人、というのも、一つの時代が過ぎ去っていくことを暗示しているようで、切ない。


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