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若松町、五台山、石上乙麻呂〔5842〕2019/04/14

若松町、五台山、石上乙麻呂

2019年4月14日(日)小雨

あいにくのお天気の日曜日。こんな天気だと、イオンとかに人は集中するんでしょうかね。オーテピアとかできて、帯屋町で雨の休日を過ごす人も増えてるとは思うけど。

今日は出歩いたりせず、家で用事を済ませたりPC仕事を進めたり。こんな日も、良い。

 

写真は家の近所。若松町。東日本大震災をうけて行われてきた津波対策工事のひとつが、ここにあります。ここに、新しい防潮堤ができました。でかい。もう、若松町から浦戸湾の景観を眺めることは、できません。

でも、こないだ話題になってたけど、実はこの新しい防潮堤、ここで10mちょっと途切れてます。当局によると、ここの工事も実施する予定になってるので心配なく、ということですが、なぜ一度にやってしまわなかったかについてはね。言い訳しても、ちょっとね。今、大津波がきたらどうするんだろう。

 

ここに見える古い防潮堤。その向こうに船が停泊してるけど、この防潮堤が完成したら、あそこに係留してる船にはどうやって乗りにいくんだろうか、みたいなことが気になって気になって。

 

今朝は灰色の雲の下の五台山。雨の五台山もきれいで、雨の牧野植物園も、それはそれで美しい。あの山に霊威を感じ、竹林寺を開創したとされるのが、行基さん。神亀元年(724年)のこと。奈良時代、聖武天皇の時代。聖武天皇が唐の五台山で文殊菩薩に拝する夢を見て、行基さんに、日本で似た山を探させました。そしてみつけたのが、あの、山。土佐では「大島」と呼ばれていた山に「五台山」という名前をつけ、竹林寺を開基する。という伝承。真偽のほどは、わからない。

 

724年か。昨日書いた、石上乙麻呂さんが土佐へ配流となったのは739年3月のこと。土佐のどこに住まわされてたんだろうか。741年には大赦されて帰京してるので、土佐滞在期間は、約2年。

物部氏の本家総帥だから、かなり偉い。奈良時代というのは政変が果てしなく続いた激動期なので、乙麻呂さんの人生も激動しますが、最後は中納言まで昇進してます。

 

竹林寺の伝承が正しければ、乙麻呂さんは、竹林寺を見たんだろうか。行基上人が彫ったとされる文殊菩薩像を安置するための堂宇が、山頂に建てられていたと言います。でも、空海が五台山を訪れたという大同年間(806年~810年)には、既に荒廃していたというから、乙麻呂さんは、見てないかも知れません。

乙麻呂が土佐へ配流された頃には、既に、うちの会社の近所は物部氏の一族がやってきていて栄えていたのは、間違いない。その話は、以前も書きました

そこに、物部本家の総帥がやってきた。もちろん土佐に居ついていた物部氏との交流もあったでしょう。流罪とは言え身分の高い人物。大赦後、すぐに元の役職に復帰、昇進を重ねてるので、土佐での生活も、かなり周囲が気を使ったものになっておったんではないかと、妄想します。

土佐の物部一族が、かなり面倒を見たのかも知れない、とすると、弊社の近所に住んでたのかの知れない、などと妄想したりもできますよね。まあ、どうでも良いけど。

 

昨夜、白川静先生の「後期万葉論」読了。「初期万葉論」と併せ、万葉集とはどういうものであるか、どんな成り立ちと推移を見せたのか、日本での文字表現がどのようにできあがっていったのか、よくわかりました。白川先生の説ではあるけど、かなり、説得力のある論考。

また、改めて、万葉集について語ってみたいとは、思ってます。柿本人麻呂は、すごい。


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