貴人と土佐〔5841〕2019/04/13
2019年4月13日(土)晴れ
良いお天気の4月、土曜日。午前中、諸々用事を済ませ、お昼前から走ってきました。久々南嶺RUN。この時間に南嶺を走ると、歩いたり走ったりするたくさんの善男善女に出会います。ほんとうに、たくさん。みんな、この身近な自然を楽しみに来ていますね。良い、土曜日でした。
今日は、まずは高見町まで走る。で、ここから駆け上りはじめました。菅原高視公邸比定地。
平安の昔、中央政界の力関係の中で菅原道眞公が太宰府に左遷される。その際、嫡男の菅原高視くんも、土佐権守に左遷。数年の間、土佐に住んだという菅原高視さん。
高見山とか高見町とかに、その名残を残す高視さんが住んだのは、この界隈だといわれてます。
でもね。その頃の土佐の国庁があったのは、今の南国市国分。国分寺の東。そこが執務場所であったはずの高視さん、なぜ、こんな場所に住んだのかは、謎。かなり、謎い。ちゃんと仕事、してたのか?
その頃、この眼下の住宅街は、全部浅海でした。たぶん、遥か向こうに見える山の裾まで、海。向こうの、マンションの右手に見えるとんがった山が小富士山。その左には、マンションや家々に隠れるように高天原山。その山の西麓に、大津の港。
たぶん、ここから大津の港までは、浅い海でした。高視さんが暮らした頃は。
こないだ、道真公崩御の後、その遺品を持って土佐までやってきた松木白太夫さんの話、書きました。白太夫伝説。その白太夫さんが無念の死を遂げたとされる大津港の裏山は、ここから見えます。
その大津を見晴るかすように、石像が座っています。たぶん、高視さんを擬した坐像。ここは、ちょっとわかりにくいけど、地域の皆さんに大切にされてます。たぶんここでお花見も行われたんではないかと思われる痕跡が残ってましたね。
今日はここから一気に高見山頂まで駆け上がる。かなり、苦し心地良い。そして鷲尾山頂を経由して神田のぽかぽか温泉へ。本当に久しぶりのぽかぽか温泉で、のったりまったりしながら、このにっこり書いてます。そう。リュックにPC入れて走ってきました。
土佐は流されてくる場所。貴人が流されてくる場所として、古来、有名でした。遠流の国、土佐。土佐に最初に流されてきた貴人はと言えば、たぶん石上乙麻呂さん。いそのかみおとまろさん。奈良時代、しかも聖武天皇の天平時代に中央政界で活躍した人物。石上という姓だとわかりにくいけど、物部氏の嫡流と言えば、誰でもわかる。そんな名族物部氏の嫡系が、石上氏で、その当主であった乙麻呂さん。
たぶん、当時の実力者橘諸兄との権力争いがあったんだろうと思う。故藤原宇合の妻との不倫の罪にて、なんと土佐へ流される。土佐人の僕が言うのもなんだけど、かなり重いね、これは。
土佐へ流されるときに詠んだ長歌が、3首。その中に、
大君の 命恐み(いのちかしこみ) さし並ぶ 国に出でますや 我が背の君を かけまくも ゆゆし恐し(かしこし) 住吉の(すみのえの) 現人神 船舳に(ふなのへに) うしはきたまひ 着きたまはむ ・・・・後略
住吉か。弊社の鎮守の神様、上岡八幡宮さんは、物部氏の石船伝説に彩られた神社。住吉から飛んできた石船が、一旦上岡に降りる。そして再び飛び立ち、旧香我美町山川へと飛んで行って石船神社となった、という話は以前も書きました。
石上。石船神社。物部氏。住吉。
弊社がある南国市物部は、ひょっとしたら、土佐へ流された最古の貴人に関係があるのか?ないのか?
ぽかぽか温泉でビールを飲みながら、そんなことを考えながらのったりまったり。石上乙麻呂さんの長歌は、間もなく読み終わる白川静大先生の名著「後期万葉論」に載ってました。「ビールを飲みながら、そんなことを考えながらのったりまったり」って、なんか万葉調みたいじゃないですか?
冗談です。
万葉集の話は、また、あらためまして。