今はもう渡れない〔5817〕2019/03/20
2019年3月20日(水)晴れ!
今朝は仕事で香川県。朝5時に出勤し、一仕事済ませてから車で香川。早いので、国道を走ってきました。大好きな大好きな国道32号線。
早朝の国道は車も少なくて快適。朝靄の中の吉野川が白く輝きながら浮かんでくる、大好きな風景。
ここは祖谷口。JR祖谷口駅前に架かる大川橋。この橋、2012年に一度ご紹介してます。大川橋。
この橋は、昭和10年、土讃線の開通に伴って架けられた橋。と、申しますか、土讃線に「祖谷口」という駅をつくってもらう為に、地元の林業家・酒造家であった赤川庄八翁が、私財58,000円を投じて架けた私橋。
地元の山城谷村、三縄村、東祖谷山村、西祖谷山村の村会が祖谷口駅設置の陳情を決議して鉄道省に申し上げたところ、ここに橋を架けることが駅設置の条件だ、と申し渡されたという経緯。そこで立ち上がったのが、赤川庄八翁。すごい。
7年前のにっこりに書いてますが、その橋の風景を、1958年、1978年、1998年、2008年と定点観測で写真に収めた方がいらっしゃいます。その写真が掲載されてるのが「セピア色の吉野川」という写真集。
1958年。架橋されてから22年。賃取り橋大川橋を渡るには、大人2円、子供1円、自転車3円、オートバイ5円、リヤカー5円、牛馬5円かかってます。メンテナンス費用、かかりますきんね。私橋ですし。
その後、1962年に赤川さんは池田町に橋を寄付。爾来、無料となる。橋の板の張り替えは、地域住民に委託されていたとのこと。
7年前に撮影したときは、多くの人たちが朝から渡ってました。また、メンテナンス用の床板も欄干に立てかけられてて、この橋が現役バリバリであったことを教えてくれます。
ところが。
老朽化による危険対策でしょうか。今はもう、このように通行禁止。7年前は、架橋77年目で、通れました。今は架橋84年目。全面通行止め。少し、寂しい。赤川庄八翁の活躍を書いた「大川橋の縁起」という看板が掲げられ、往時の賑わいを偲ばせてくれる。
先人の思い、努力。その延長線上に、僕らの幸せがある、ということを教えてくれる風景。
7年前、僕も渡ってみました。渡っといて良かった。今は、いくらお金を払っても渡ることができない、大川橋。