悠久の時間を旅する醍醐味〔5812〕2019/03/15
2019年3月15日(金)晴れ!
今朝は高知。昨日の最終便でモンてきてます。最終便で帰るときは、羽田でちょっと一杯。なので、高知空港から家までは空港バスね。心置きなく空港で一杯。一杯なのかいっぱいなのかは内緒だけど。
そんな訳で、今朝は自転車で出勤しました。少し寒いけど、今の季節は汗にもならんし丁度良い。快適に走ってきました。
写真はその途中。国道55号線、南国バイパス。会社の近くの、田村の歩道橋から少し東へ行った場所。国道から、北の方角を撮影しました。6時前。明るんでくる空が美しい。
この小さな川は、王子川。この少し下流の河畔に、若一王子神社さんが鎮座ましますので、王子川。
地理院地図でみると、こう。この十字の場所から北向いて撮影。そしてこの地図を土地条件図にすると、こう。水色が現在の河川で、深緑色が旧河道。つまり、かつて、そこが川であったと思われる場所。こうやって見ると、物部川は流路を定めず、この扇状地を網の目のように流れてきたことが、わかる。わかりますよね。
かつての河川は、増水する度に土砂を色んな場所へ、色んなかたちで堆積させ、自由気ままに流路を変えてきた。それが自然の川というものだ。そんな自然の在りようが、この土地条件図で理解できます。
で。弥生時代前期から後期にかけての長い長い期間、南四国最大級の集落があったのが、この西側の田村。そう。物部川の扇状地の内側、微高地に展開された集落、田村。
田村の西側には、今も下田川が流れてるけど、かつて、物部川の本流が流れたこともあるような場所であることが、土地条件図から想像できます。
つまり、現在の下田川と王子川に挟まれた微高地、という地理的条件が、南四国最大の集落をつくりあげた、と言えるんだと思う。微高地なので、流路とはならない。でも灌漑には便利。そして太平洋とつながっており、なにかと便利な土地であった。
この場所は、弥生の時代も、中世の細川守護代屋敷が田村に所在した時代も、やはり川が流れ、西側の微高地に展開する集落を支えてきたんだと妄想が暴走する。朝っぱらから。
地形を見ながら、悠久の時間を旅する醍醐味。これ、ブラタモリで、やっとこさ皆に認知されるようになってきた、醍醐味。
そうそう。ブラタモリって、書籍になります。そして、僕が出演したブラタモリ高知編が、やっとこさ書籍になり、本日発売なんだそうです。なんか、もう、遠い昔のことのよう。放送が一昨年9月で、撮影はその年ん6月ですきんね。もう、2年前の話になってしまった。