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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

下末吉台地の下末吉面、横浜の地形〔5810〕2019/03/13

下末吉台地の下末吉面、横浜の地形

2019年3月13日(水)晴れ

大自然のこと、知っておくにこしたことはない。と、思います。

 

ここは横浜市保土ヶ谷区。ここに所在する、あのタカナシ乳業様の天王町オフィスにやって参りました。本社、横浜工場は横浜市旭区にありますが、企画部門等々は、ここ。タカナシ乳業といえば、低温殺菌牛乳を売り場でよく見かけますよね。そして、業務用関係では、かなり有名。日本でハーゲンダッツのアイスクリームを作ってるのはタカナシさんだし、スタバで使われている牛乳乳製品もタカナシさん。僕らも手本にしたいような、中堅乳業メーカーでございます。

 

保土ヶ谷という地名でわかるように、ここには谷がある。地理院地図で見てみよう。

あ。ここからは地学の話が続くので、辛い方は、最後まで読み飛ばそうね。

 

色別標高図というので見ると、こう。横浜の山手というのは、台地と、その台地を開削した谷でできてるということが、よくわかります。それと海岸平野と埋立地ね。

この台地、土地条件図で見てみると、こう。そう。更新世段丘だ。それも、かなり細かく複雑な谷が形成されてる段丘。これは、東京の麻布界隈の複雑な地形と同じ成り立ち。そう。下末吉面。

 

今から約12万年前。最終氷期であるヴュルム氷期と、その前のリス氷期の間の間氷期。つまり平均気温が高く、極地の氷が融けて海水面が今よりもずっと高かった時代に、浅海となって堆積した土砂によってできた、台地。その、12万年前の海進によってできた段丘を、全国的に下末吉面とか、略してS面とか、呼ぶのは、このにっこりを読んできた皆さんはもう知ってますよね。全国的に、このときにできた台地は多い。そしてその「下末吉」という名称は、この横浜界隈に広がる台地が下末吉台地であるところから、きてます。

現在、下末吉という地名は鶴見区の、ここに残る。けど、横浜の街を取り囲むように形成されてるこの広い台地を、下末吉台地と呼ぶのでありますね。

 

タカナシ乳業横浜工場と本社は、この、下末吉台地を開削して流れる帷子川を遡ってったところに、所在します。たぶん、水が豊富で地盤が固い、という場所。弊社の南国工場と同じだ。

この写真が、相鉄線天王町駅の北を流れる帷子川。向こうに見える高台が下末吉台地に含まれる、明神台。地理院地図で見たらこんな感じで、台地の一番高いところに神社マーク。明神台ですきんね。調べてみますれば、古くから杉山大明神として尊崇されてきた、そんな高台。

 

横浜に詳しい方はご存知でしょうが、横浜周辺の地名、「谷」と「台」と「丘」がとにかく多い。

この北には峰岡、浅間台、宮ヶ谷、鎌谷町。この南西には月見台、桜ヶ丘、霞台。南には久保山。これは、窪地のある山、という意味だろうから、まさに段丘を川が開削している風景が目に浮かぶ。浮かびませんか?

でも、色別標高図で見たら谷や丘が多い自然地形だけども、航空写真で見たら、こう。全部、建物。横浜は、こんな街。

 

関内とか山下町とか元町とかの横浜中心部は、下末吉台地を大岡川が切り開いた、その河口部にできた町。地形みると、そこに町ができていった風景が目に浮かぶ。浮かびませんか?

 

その南には港の見える丘公園だ。もちろん更新世段丘である下末吉台地。その台地の北裾は石川町。そう。あの、高架の下の水路は石川という川なんでしょうかね。知らんけど。

 

こないだご紹介した「酪農乳業の発達史」の神奈川県を見てみると、さすが横浜。幕末から乳牛が飼われはじめ、明治期にはたくさんの搾乳業者が横浜を取り巻く丘陵地帯に存在した、と書かれてます。下末吉台地は、酪農乳業の揺りかごでもあったのか。

 

地形と乳業は、こんな風に絡み合ってきた、という話。さあ。仕事仕事!


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