埼玉県〔5804〕2019/03/07
2019年3月7日(水)
今日は埼玉。さいたま。お昼の飛行機で羽田へ飛んで、やって来ました。埼玉県。
僕らが大学生の頃、埼玉というと少しダサい、というイメージが売り?だった。あの頃流行った歌に「なぜか埼玉」というのがあったね。歌ってたのは、さいたまんぞう氏。ふざけた名前のさいたまんぞう。そうそう。そんな扱いだった埼玉県。
でも大きな県です。現在の埼玉県の人口は730万人を超えている。730万人だと?
つまり。間も無く70万人を割り込もうとしている高知県人の10倍以上の人間が暮らしているのが、埼玉県。
で、今日来ているのは行田市。ここに、僕らの同業者である森乳業様の本社、工場が所在するのであります。森乳業様の「わたしとぼくのコーヒー牛乳」は、今は「わたぼくコーヒーミルク」という名前になったけど、生乳使用率90%で、とっても美味しいことで有名。本当に美味しいです。
秩父鉄道行田市駅とかには、「さきたま古墳公園」の地図が描かれていたりします。そうか。埼玉県の県名由来になった「さきたま」の中心部はこの辺だったのか。
明治4年、廃藩置県で県が置かれたときに、埼玉県と入間県がつくられた。そして明治9年に、現在の埼玉県ができあがる。埼玉郡という郡が一番大きかったから、埼玉県にしたんだって。では何故、埼玉郡という名称ができたのかと言うと、太古の昔、律令制度がつくられた時代に「前玉郡(さきたまぐん)」ができていたから。それの中心が、現在の行田市界隈だった、ということらしい。古墳も多いしね。
では何故「前玉郡」となったのか。は、知りません。
埼玉のイメージも随分と変わりました。「埼玉西武ライオンズ」と、埼玉の球団であることを西武が強調するくらい、変わった。
ともかく。
明治9年に今と同じ広さの埼玉県ができたとき。その時の埼玉県の人口は、なんと、889,492人だったんだって。国立国会図書館のデジタルコレクションで、高知県統計表というののPDFを見ると、明治13年の高知県の人口は552,150人だ。埼玉89万、高知52万。そんな感じ。
それから140年。埼玉730万で高知70万。ああ。この差の広がりは、この日本という国のありようがもたらしたもの。なぜか知らねど〜、などと言うている場合ではないのである。
そう。これが、日本という国の、ありよう。
では、これからどうなっていくのか。実は、現在がほぼほぼピークらしい。埼玉県が出している人口予想推計では、今がピークで2035年には689万人に減ってます。約40万人の減少。2035年の高知県人口予想推計は、57万人で今より13万人減。まあ、比率で言えば比べ物にはならんけど、減っていくのは減っていくのでありますね。
首都圏で電車に乗ってて、ご高齢の方に席を譲る、という風景、見かけます。でも、ご高齢の方自体が圧倒的に少ない。高知とかで公共交通機関に乗ると、圧倒的にご高齢の方が多いので、席、譲るも何も。まあ、立って乗るほど混んでないけど。
埼玉県の現在の高齢化率(65歳以上の比率)は26%くらい。2035年には32%。電車に乗って、席を譲らんといかんケース、これから少しづつ増えてゆく、ということに都会で暮らす人たち、あまり気付いてないみたいですね。
いや、その頃には、僕らは譲られる方の年齢だった。しかも後期高齢者か。
ともあれ埼玉県は、元気です。こんなとぼけた歌を歌ってる場合ではない。古い歴史をもち、そして新しい歴史が築きあげられつつある、埼玉。
埼玉県民は、「わたぼくコーヒーミルク」と「わたぼく牛乳」を、飲もう。