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知寄川、下知寄新田から下知村へ〔5790〕2019/02/21

知寄川、下知寄新田から下知村へ

2019年2月21日(木)薄曇り

今年の冬は、このまんま厳寒になることもなく過ぎてゆくんだろうか。と思うくらい、昨日は暖かかったですね。もう、春。油断はならんけど、春はそこまで高知県。

ここは常盤町の東端。稲荷町になるのかな。若松町ではないと思うけど。二葉町ではないよね。この界隈、町名が複雑に入り組んでて、よくわからん。昔の町名だと、たぶん常盤町。ときわ町。この西の堀川沿いに松並木があったことにちなんだ町名、常盤町。

 

で、大きな行政区分でいうと下知村。藩政期から明治22年まで、ここはずっと下知村でした。しもじ村。

明治になって埋立造成が行われた稲荷新地が、この南から東へ伸びてゆきます。稲荷新地の堀川沿いの道の一本北が、この道。もう一本北が、広くて交通量の多い、弘化台へと続く道路。その道路は、戦後すぐの航空写真には見当たらず、1960年代の航空写真に初見なのでその頃の都市計画で作られた道路。だから、それ以前は、この道が準メインストリートだったんだと思います。もちろんメインストリートは、南の堀川沿いの通りで、堤防もなく、浦戸湾と直結した水辺の繁華街であった、稲荷新地。

 

堀川沿いは埋め立てられて微高地になってるけど、一本北のこの道界隈は0m地帯。もともと浦戸湾の湿地帯だった場所なので、過去、幾度も幾度も幾度も幾度も水害に悩まされてきた土地でもあります。

 

下知村。この地名は、藩政期の途中から使われ始めたらしい。

1707年の宝永南海地震の頃。その頃までは塩田村とか呼ばれてたとのこと。そう。浦戸湾沿岸の塩田。宝永南海地震の後、堤が築かれたりして(宝永堤)、塩田村は下知寄新田と呼ばれるようになり、それが下知新田となって下知村。

みんな想像している通り、下知は、下知寄なのでありました。

 

では知寄という地名は。という新たな謎にぶつかる訳だけども、角川日本地名大辞典「高知県」(これ、最近アマゾンで古本を1700円で手に入れました)によりますれば、知寄ヶ淵から流れ出る知寄川という小川に由来する地名なんだそう。なるほど。知寄ヶ淵については、以前にも書いたぞ。「土佐物語」に「知寄などいふ底もなき渕なれば、たやすく埋草も及ぶところにあらず・・・」と書かれた未開不毛の地。そこから知寄川という小川が流れてたのは、初めて知りました。

どこをどう流れていたのか。気になるし、どんな渕だったのかも興味が尽きません。

 

藩政期初期に塩田として、宝永南海地震後、新田として開発が進んだ下知村。明治になって稲荷新地ができ、高知一の繁華街となって隆盛を極める。戦後は海運会社の倉庫などが並ぶ町となり、巨大な堤防が浦戸湾の風景を遮断し、今は静かな住宅街の趣き。

時代は流れ、風景や町も変わってゆく。

それにしても、県外の方々とか、こんな文章、まったく全然興味ないし面白くもなんともないですよね。そりゃあそうだ。いや、だからといって反省し、もっと読みやすい内容にしていこうとか思ってる訳ではないのでありますが・・・・・

朝、まだまっ暗いうちから何を書いているんだか。さあ。今日も頑張って仕事仕事。


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