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12年後の500人の村〔5776〕2019/02/07

12年後の500人の村

2019年2月7日(木)晴れ

ぬくい。冷えません。昨日も春みたいな陽気でした。

昨日のにっこりで、土佐稲荷神社玉垣の鬼頭良之助さんのこと、書きました。あれを発見したのは今から12年前。2007年1月のこと。今はもう社会人になったJr.1号が写ってます。まだ小学校6年生だ。あんな時代もありました。

あの日、Jr.1号と散歩してて発見したのが、鬼頭良之助さんの、玉垣。

 

その日のにっこりには、興味深い話も書かれてます。高知新聞の一面で始まった「500人の村がゆく」という連載の話。高知県の山間部、大川村に、高知新聞の記者が役場の研修員として住み込み、山村の暮らしや思いをレポートする、という秀逸な試みだった。2006年11月30日現在の村の人口が、509人となってます。

あの連載、面白かった。離島を除けば日本で一番人口の少ない村、大川村の、生き生きとした生活。白滝鉱山の廃鉱や、早明浦ダム建設による集落の水没など、外部要因に翻弄されてきた歴史の中で懸命に暮らす人々。そんな風景が鮮やかに描き出されてた、良いレポートだった。

 

あれから12年。小学生だったJ.1号は大学を卒業して社会人になり、大川村の人口は400人になった。この1月31日現在で、405人。12年間で100人減りました。2割減。

村会議員のなり手が少なく、村議会の存続が危ぶまれ、村民総会も検討されて全国的にも有名になった大川村でも、今年、村議会議員選挙が行われます。そこで、高知新聞さん、また、大川村のことを一面で連載してます。

題して「大川のほとりでー400人の村の軌跡」

 

今朝の記事が第5回。毎回、興味深く読ませて頂いてます。12年前の記事を思い出しながら。

 

今朝のに書いてた内容は、早明浦ダムで集落が湖に沈み、多くの村民が離村していった頃に、追い打ちをかけるように白滝鉱山が廃鉱になった、というもの。白滝鉱山には、村民の半分(それでも2000人)が暮らしていたと言います。その税収で、なんと、1959年までは地方交付税の不交付団体だったという大川村。

1960年の人口が4114人。ダム完成と白滝閉山後の1975年には、933人。凄まじい減少。社会のあり様そのものが変わってしまうような人口減少。それも、外部要因によって。その中で、暮らしてきた村人も、今は400人。

 

白滝閉山は1972年のこと。実は、僕は、高校生の頃だから閉山から10年も経ってない頃に、友人と二人で白滝廃鉱跡へ行ってます。汽車とバスで田井まで行き、今もある富士見旅館に宿泊。おにぎり作ってもらって、ヒッチハイクで大川村、そして白滝へ行きました。そこにあったのは、まだ、生活の匂いがするゴーストタウン。銭湯。パチンコ屋。郵便局。雑誌類や本がそのまま残された家。などなど。集会所の黒板には、産出量の数字などが書き込まれたままだった。

 

時はめぐり、いろんなものが無くなり、忘れ去られてゆく。けれど、確かにそこで人々は暮らしていたし、これからも暮らしてゆく人たちが、居る。

調べてみたら、高知新聞のサイトに登録してログインすれば、「500人の村がゆく」のアーカイブ、読めるようになってました。

 

今回の連載「400人の村の軌跡」と、12年前の連載「500人の村がゆく」を読み比べながら、これからのことを思うのも、大切かも知れない。


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