Cathay Pacific873〔5773〕2019/02/04
2019年2月4日(月)晴れ
昨日は少し降りました。水不足が懸念される中なので、もっと降ったら良かったのに。今朝はもう、晴れ。気温は、この季節の朝にしてはかなり高めだと思います。
写真は今朝4時。鏡川大橋北詰から撮影。向こうに南嶺の影が横たわる。テレビ塔が立つのは烏帽子山と柏尾山。フィリピン海プレートがユーラシアプレートに沈み込む際にできる、陸側のシワシワね。あのシワシワのこちら側に仏像構造線が東西に走り、四万十帯と秩父帯の境界になってるのはご承知の通り。
未明の空。見上げてみると、なんか、東西にだらだらと星がつながってる感じ。特に明るく見える星がある訳でもなく。うみへび座だ。この感じをウミヘビに擬えたのは、わかる。わかります。その左に天秤座。
南嶺とうみへび座の間に、赤っぽく短い線が見えます。シャッタースピードを8秒にしてるので、8秒間であれだけ動いた飛行機の航跡。こないだ知ったフライトレーダー24を早速見て、確認。すごい時代になったもんだ。
Cathay PacificのCX873便だ。サンフランシスコから香港へ向かう飛行機。ボーイング777-365(ER)という機種だと書いてます。飛んでる高度は36,000ft。須崎の沖を飛んでるのが、こんな感じで高知市から見えてるのでありました。すごい。
中国は、様々な民族が国家をたて、統一して来た国。例えば国際国家で有名な唐は、その前の隋と同じで、北方の鮮卑拓跋部という民族による国家。なので、胡服騎射というスタイルが官服に取り入れられたりした訳で、それを模範にした為に、国際社会の仲間入りを必死になってやろうとしていた飛鳥白鳳奈良時代の日本では、官服がズボンになったり机と椅子で仕事したりと大変だった訳だ。鹿鳴館政策みたいなもの。
で、隋唐の影響力が衰え、国際社会の緊張が弱まってくると、高温多湿の日本にあわない習俗は廃れ、いわゆる国風文化が栄えるようになったとされてます。まあ、畳や板の間に靴を脱いで上がって、着物でゴロリ、というのが楽チンで心地よいですもん。
で、中国では遼という国名で知られるのがキタイ。漢字で書くと契丹。やはり北方の草原地帯に興ったキタイ。一時は中国にも進出して遼という国家を打ち立てたりしたキタイは、その後、中央アジアの方へと移動していく。
遼を建国したのは耶律阿保機。世界史で習いましたね。やりつあぼき。遼は、金に取って代わられ、その金もモンゴル帝国に取って代わられることになるけど、そのモンゴル帝国で有能な官僚として活躍したのが、耶律阿保機長男の子孫とされる耶律楚材さん。陳舜臣の小説で読んだこと、あります。
で、そのモンゴル帝国が世界を征服していた時代。西欧でも、中国との接点がモンゴル帝国を通じてできあがった。その時代、西欧では、キタイが中国を示す言葉であるという認識が広がったらしい。マルコポーロとか耶律楚材が関係したのかどうかは知らんけど。
話が長くなりました。
ヨーロッパでは、キタイが、中国一般を指すことばであった。
イギリス植民地下の香港で航空会社がつくられたとき、Cathayが使われたのには、そんな理由があったのでありました。まあ、どうでも良いけど。
さあ。月曜日。仕事仕事。