浦戸湾の朝〔5731〕2018/12/24
2018年12月24日(月)晴れ
イブ。天皇誕生日の振替休日。年末もあって色々と忙しい一日。朝、少しだけ走ってきました。横浜方面ね。
西孕。太平洋セメントさんの前を通り、半島の先っぽをまわる。幾度もご紹介した、水上飛行機の乗り場があった場所を過ぎて、堤防の上から南方向を撮影。左手。浦戸湾に浮かぶ玉島。その右に衣ヶ島。この東西に並ぶ島々は、プレート運動によってできた東西のシワ。地図で見ると、よくわかる、プレート運動。
玉島と衣ヶ島の間。丁度正面が、深浦神社。昨日話しました、土佐でも珍しい北向き神社、深浦神社。今、そこにお参りしようとすると、精華園さんの駐車場の南の堤防を越え、磯を歩いていくしかない。山の方から降りていく山道があるけど、かなりの、藪漕ぎ。御畳瀬から磯伝いに行くこともできるけど、潮が込んでいたりすると、かなり危険な行程となる。
そんな場所に、何故、立派なお宮さんが鎮座ましましたのか。理由は簡単で、お参りするには舟を利用していたからだ。
以前、まだ小さかったJr.達と行ったときの写真でも、参拝用の桟橋が海に突き出ているのがわかります。
でもまあ、何故、あそこにお宮さんを北向いて作る必要があったのかは、謎だ。何か、特別な理由があったのかどうなのか。
身近な海だけども、知らないことがたくさんあります。あの磯辺には、海に面して洞窟がいくつか掘られてます。太平洋戦争末期、爆弾を搭載して敵船に突入する特攻兵器、ベニヤ板でできたボート「震洋」を格納していた穴。
あの深浦のある半島を向こうへまわると、御畳瀬。かつて狭島(さしま)にあった厳島神社さんがそこに遷座されている。昭和37年に狭島は爆破されてしまった。フェリーの通行の妨げになるとかでね。
狭島は、「魚が湧いて来る」と言われたほどの漁場だったという。小さな岩礁で、神社と松の木が美しい島だった。
狭島は爆破されてなくなったけど、高知港を発着するフェリーもいつしかなくなってしまった。
狭島の爆破跡は、ハイカラ釣りの好漁場になっているとか。
美しい浦戸湾。
また、たくさんの小舟が浮かび、ニロギ釣りやハイカラ釣りをする善男善女で溢れる日が来ればよいのに。
そんなことをのったりまったり考えさせてくれる美しい風景。
いかんいかん。さあ。仕事仕事。