天山〔5709〕2018/12/02
2018年12月2日(日)晴れ
高知から松山へ車で行く。すると、国道33号線から行っても高速道路で行っても、松山市街地へ入る手前で天山交差点を通ります。通るよね。あまやま交差点。
あの界隈が、天山。あまやま。
今日は、酪農家さんの関係で愛媛へ来てます。お仕事ね。で、今朝はその天山のお話。
ひまわり乳業は、元々高知牛乳食品という社名でした。それが、主力商品の商品名から「ひまわり乳業」となったのが昭和46年のこと。何故、社名を変更したのか。理由はいくつかあるようですが、一番大きかったのが愛媛県進出ね。その昭和46年、松山に営業所を出して、愛媛県内での販売を開始したのでありました。愛媛で商売するのに「高知牛乳」では具合が悪い、ということで、ひまわり乳業にした、というのが真相らしい。僕は10歳なので、知らんけど。
その最初の営業所は、天山に置かれました。あまやま。弊社にとってもご縁が深い、天山。
天山というくらいなので、そんな山があるんだろうとは思ってましたが、行ったことなかったです。なので、今朝、お仕事前に少し寄ってみました。天山。地理院地図によると標高51m。でも麓の標高が20m以上あるので、標高差はそんなにない、小山。
でもこの小山、歴史上、実に重要な山だったのでありました。なんせ、8世紀前半に編纂されたという伊予国風土記逸文に、出てくる山なのだ。
「伊与の郡。郡家より東北のかたに天山あり。天山と名づくる由は、倭に天の加具山あり。天より天降りし時に、二つに分れて、片端は倭の国に天降り、片端はこの土に天降りき。よりて天山といふ、本なり。」
山麓の、天山神社参道石段登り口に、こう書かれた説明板が立ってます。また石段の途中、脇には、天山の由来かれこれについての真新しくて詳しい説明板が立てられてました。石段の上の天山神社は、地域の皆さんに本当に大切にされてます。参道も整備され、拝殿前はキレイに掃き清められてました。すごい。
で、その説明板が興味深い。
天山三山。この天山と、南にある東山、そしてその東の星岡山。この三つの山が、松山の平野に屹立する三山。その在りようが、大和三山(天の香具山、耳成山、畝傍山)と同じだ、という話。大和三山の中心に巨大な藤原京ができたように、ここ、天山三山周辺は、往時栄えた国であったのか。
周辺や山には遺跡や古墳も多く、縄文以来古墳時代まで、かなり栄えた地域であったことは間違いない。
昨日の野市の上岡ではないけれど、太古の昔から神の山として尊崇されてきたことは想像に難くないですな。
川の流れに囲まれ、軍事戦略的にも要地であったことは、なんとなく、わかる。この地理院地図を見てもね。
で、加藤嘉明がこの地を与えられ、お城を築きたいと家康に上申する際、その第一候補がここ、天山だったのであります。もし、ここを加藤嘉明が本拠としてお城を築いてたら。その城下町は、この山周辺につくられ、現在の松山とは全然違う都市になっていた訳だ。どんな街になってたんだろうか。妄想してみると、楽しい。この辺が歴史の面白いところ。今朝の写真は、天山の上、天山神社参道から松山城方面を眺めた風景。紅葉がなかなか美しい天山。
城下町の中心にはならんかったけど、交通の要衝であることには変わりなく、今も、高知から来ると必ず通る、天山交差点。弊社が最初の拠点にここを選んだのも、そんな交通の利便性を考えたからだったのかも知れません。