武蔵野の風景と山茶花〔5706〕2018/11/29
2018年11月29日(木)快晴!
昨日は降りましたが、今日は良いお天気。今年もまた、山茶花の季節がやって来ました。さざんか。
本社棟の前のさざんかも、今、白い花を散らせています。花びらがハラハラと落ちるのがさざんかで、一輪の花ごと、ボトリと落ちるのが椿。
黒澤映画の「椿三十郎」では、椿の存在が、映画の雰囲気を盛り上げています。ストーリーとしては「用心棒」と同じような展開なんだけども、「椿三十郎」は少し商業的で、若大将のエッセンスと融合した映画。「用心棒」の「桑畑三十郎、もうすぐ四十郎」が、「椿三十郎、もうすぐ四十郎」になってます。
で、確か、悪巧みするエライテさんが、庭の椿が庭の小川に落ちる音に反応して「誰だ!」と怯えるような場面があったと記憶する。そう。椿だから音がした訳で、これが山茶花だったら音がしない。「椿三十郎」は「山茶花三十郎」にはならないのだ。
以前にも書いたけど、山茶花で思い出すのが大学生の頃に暮らしていた下宿。いや、その下宿に山茶花が咲いていた訳ではなくて、童謡「たきび」の舞台が近かったから。学生時代は、そんなこと、全然知りませんでしたが。2012年1月4日に、偶然気付いた衝撃の事実。
垣根の垣根の曲がり角を曲がって10m。そこを左折して30mくらいで、僕の下宿だ。大学1年生から2年生まで住んでいた、下宿屋さん。
Googleマップで見ると、こう。ちゃんと「たきび」のうたの発祥の地、という説明もあります。
地理院地図で見ると、こうだ。十字の場所が、「たきび」発祥の地。詩人の巽聖歌さんが、昭和5年から13年間、その近くに住んで毎日通っていた風景。それを歌にしたのが「たきび」。
航空写真でも、その界隈だけ、今も緑が溢れている。現地へ行ってみると、かつての武蔵野の風景が、その一角だけに残されているような、そんな風情の場所になってます。
僕が住んだ下宿屋さんは、ここ。この十字の場所。今も、その建物、ありますね。僕が子供の頃、1960年代の航空写真では、こう。その下宿屋さん、すでに建ってる。1936年の航空写真ではもちろん建ってなくて、今よりもずっと広い森と、野原。各所に森が広がり、かつての武蔵野の風景を想像させてくれます。
「たきび」がつくられたのが、1941年。ウィキによると、上高田に「ケヤキ屋敷」と呼ばれる大きな邸宅があり、そこにはケヤキ、ムクノキ、カシなどの樹木がたくさんあって、森になっていたそう。で、住民は、その枯葉を肥料にしたり、冬の寒いときには焚き火にしたりしていたんだそう。
1936年の、この航空写真。「たきび」がつくられたのは、この風景の頃。
今とは違う、武蔵野の寒い冬を温めてくれる焚き火。北側は野原みたいになっているので、北風もピープー吹いたことでしょう。
地理院地図は、古い風景を僕らに見せてくれます。特に東京では、1936年頃の航空写真もある。
このケヤキ屋敷では、今の季節、山茶花がハラハラと花びらを散らしていた。