正確には41年振り、平和祈念像〔5659〕2018/10/13
2018年10月13日(土)晴れ
そんな訳で、昨日お邪魔させて頂いたのは。まず、雲仙市にある落水正商店様。鶏卵の、長崎県で一番大きい業者さん。もちろん自社でも養鶏を行い、パック詰、液卵加工など手広くやられてます。卵一個一個に賞味期限を直接印字してるのが、素敵でした。やはり他社ができないレベルに達しているのが強さ。おしゃれなショップでは、ロールケーキや卵関連商品がたくさん。そして、昼食は卵かけご飯だ。とっても美味しゅうございました。BGMも良かった。クラシックやロックの名曲をギターと縦笛という編成で軽くピヨピヨと演奏してるやつ。お店の従業員さんが見つけてきたんだそう。そういう空気感が、良かったです。
次に、西彼杵郡に所在する、津野田ゴム加工所様。田んぼの中にある、それほど大きくなくて目立たない加工所。ところがだ。誰も気付かないような佇まいで、ものすごいこと、やってました。パッキンなどのゴム製品の精密加工。劇的短納期と、他社ができない精密加工。半導体工作機械の精密な部品や軍艦のパーツなど、その技術力と短納期で重宝されているメーカーさん。すごい。津野田に頼めば難しいのもすぐにやってくれる、という評判を勝ち得る。そうなるとね、もうね、価格競争なんかはまったく関係なくなって、やり甲斐のある仕事場、空気感がどんどんと良くなってゆくんですね。いや、驚いた。驚きました。現場での意思疎通、情報共有の方法は、早速取り入れてみたい上手なやり方、してました。
そんなこんなで、今日、帰ります。
今朝、5時過ぎに起き出して、走ってきました。美しい長崎の街。どうしても行ってみたかったのが、ここ。平和公園。
新地中華街から出島を経て、電車通りを北進。JR長崎駅を過ぎてしばらく走ると、右手に坂道が現れ、原爆資料館の案内板。僕らの高校は、中高一貫で、高一の時に修学旅行へ行きました。昭和52年の秋だ。1977年か。正確には今から41年前。長崎の原爆資料館で衝撃を受けたことは、はっきりと覚えてます。修学旅行ではしゃいでいた僕らでしたが、原爆資料館を見学した後、バスの中が静まり返ってた記憶が鮮明。
原爆資料館の前を通り抜けて浦上天主堂へ。美しい。そこから爆心地へと駈け下る。爆心地から平和公園へ。石段を駆け上がると、正面遠くに、平和祈念像。
そう。見学した夜、雲仙のホテルの部屋で、クラスの男子がこの像の格好して写した写真が、卒業アルバムに載ってます。
あの時は、あの場所が刑務所で、収監されていた人や職員が即死した、という事実や、刑務所建物の基礎部分の痕跡があることなど、全然意識してなかったですね。
この平和祈念像についての説明は、バスガイドさんにしてもらいました。
空を指差す右手は、原爆の脅威。水平の左手は、平和。横に組んだ右足は原爆投下直後の長崎の静けさ。立てた左足は救った命。そして、目を閉じて犠牲者の冥福を祈る。
41年振りに、やってきました。この、まったく変わらぬたたずまいの平和祈念像を前にして、あの頃のことを思い出しました。
来て良かった。長崎の、朝。