長崎、40年振り〔5658〕2018/10/12
2018年10月12日(金)長崎は晴れだった
今朝は長崎。このにっこりひまわり15年目にして、初長崎。大分とか博多とかは仕事の関係もあってよく行ってますが、長崎にはご縁がありませんでした。
生まれてこのかたで申しましても、二度目。1度目は、もう、40年以上前になる。そう。高校の修学旅行だ。原爆資料館へ行って、強烈なショックを受けたこと以外、あまり覚えてない。泊まったのは雲仙で、ホテルの部屋でクラスの男子が平和祈念像のポーズをとって撮った写真が、卒業アルバムに載ってます。
でも、原爆資料館と平和祈念像以外、どこに行ったのか、記憶がない。
そんな訳で、今朝は早朝から、出島とか大浦天主堂とかグラバー園の入り口とか、色々とたつくって来ました。もちろん、路面電車もね。
いたるところに、史跡。美しい風景。良い街です。
ホテルのすぐ近くが出島だったとは、気付きませんでした。江戸時代の日本の窓だった、出島。オランダ商館という建物と、扇型の痕跡が、ここが出島であったことを偲ばせてくれます。地理院地図の航空写真で見ると、こう。十字の場所が、出島。出島の扇型がわかりますよね。
このトラス橋。明治23年に、この川の河口部に架けられたという橋。明治43年に、ここに移設。鉄製道路橋としては日本最古なんだって。
長崎、日本最古とか、日本で最初の、とか、実に多い。電車通りを走っていたら、グラバーが敷設したという日本最初の鉄道、などという史跡もありました。そんな鉄道、あったんだ。長崎、恐るべし。
昨日は、福岡空港からレンタカー。途中、佐賀県小城市のお菓子メーカーに寄ってました。竹下製菓さんという、明治に創業したという老舗のお菓子メーカーですが、今はアイスクリームが主体。
ブラックモンブランという商品が超ロングランヒット商品で、地元では知らない人、ないそうです。良い会社でした。
この冬、2ヶ月工場を止めて機械の総入れ替えをする、とおっしゃっておられました。すごいですね。いや、すごい。他社にない商品をつくり続ける、というのは、大切なこと。
佐賀県は、よく通過するけど、仕事で立ち寄ったのは初めてでした。
みんな、それぞれの地域でぞれぞれ、頑張っておられます。
立体迷路のように入り組んだ長崎の街。原爆で焼け野原になった後、復興するのに手一杯で、道路を広くしたりする都市計画なんぞやっている遑がなかった、とのこと。
でもね。結果として、観光客にとってはとても魅力的な街となりました。