中の島と弘化台〔5609〕2018/08/24
2018年8月24日(金)曇り
台風一過。
昨日は、夕方になってから風が強くなりました。それまでは、結構おだやかなお天気。雨も時折降るくらいで、概ね晴れて暑かった。
予報では大雨になるとか言うてたので、とさでん交通の電車バスは、昨日のお昼から止まってました。夏の日差しの下、電車もバスも走っていないという高知市内のシュールな風景。
なかなか予報と対策というのは難しいもんです。夜のうちに台風は室戸をかすめて通り過ぎてゆきました。
ここは今朝、未明の中の島。鏡川大橋北詰の下から西の方角を撮影しました。右手が中の島。九反田から東へ突き出すように延びる中の島。
こないだ、高知市中央卸売市場がここにできていたら、という妄想を暴走させたので、今一度その妄想を検証してみようと思う。
元々、高知市中央卸売市場は、ここ九反田に開設されました。昭和5年のこと。この航空写真の十字の場所。この南には藩政期に雑喉場があり、高知の城下の魚河岸があったので、その文脈の延長線上につくられたのが、中央卸売市場。
明治11年に河田小龍が描いた「高知市街全図」を見ると、雑喉場橋のところには「慶長魚市」、東の方には「旭魚市」という名前が見えます。たぶん問屋だ。そこに仲買人が群がり、生魚の流通を担っていた。
昭和42年に、埋立地である弘化台へと中央卸売市場が移転。その頃の航空写真がこれで、市場跡地は駐車場になってます。まだ、川の交差点の四ツ橋がかろうじて四ツ橋の名残を留めていた時代。
で、九反田から中の島にかけては、もう、かなりの住宅街になっています。なので、こないだ妄想したように卸売市場を作ろうとしたら、その東。細長い中の島東部ということになる訳だ。
結論から言えば、ダメですね。
九反田の住宅街を全部引っ越していただいてでないと、無理だ。しかも、弘化台と一緒に見比べてみたら、ああ、狭い。意外に、弘化台、広かった。そもそも九反田では手狭になった為に、新しい埋立地への移転が行われた訳で、やはりどう考えても、この写真の中の島界隈を中央卸売市場とその関連施設を並べる場所にするのは無理がありました。妄想は、妄想。忘れてください。
そうやって考えて見ると、築地の立地はすごい。都心も都心。銀座から歩いて行ける場所に、あのような卸売市場が存在することは、すごいと思う。巨大都市東京だけではなく、日本の食文化を担う築地が、都心のど真ん中にある、という事実。
衛生とか見た目の効率性とか、土地のもつ費用対効果とかを考えたら豊洲なのかも知れんけど、市場が築地にあること、そして築地を中心に作り上げられてきた日本の文化というものは、数値化できんけど、大切なものであったのかも知れません。
弘化台も、日頃から一般市民が訪れて食べて飲んで楽しめるようにしたら良いと思いました。そのためには公共交通機関か、一般客用の場外駐車場が必要になるけど。それくらいなら、できそうだし。一般客に親しまれるようになると、それなりに飲食のお店も充実し、また、市場が賑わいを見せるようになるかも知れない。
今朝の妄想は、こないだの妄想よりは、少し、現実的。少しはね。