昭和53年の植樹祭〔5608〕2018/08/23
2018年8月23日(木)晴れてます
そう。なんとなく不穏な雲が浮かんでるけど、夏の日差しが照りつける、朝。週間予報では、今週ずうっと雨だった。でも、昨日も良いお天気の一日になりました。
今日も晴れ。でも、さすがにもう少ししたら降り始めるんだと思います。今晩、台風20号が高知を通過していく予報になってます。すごい雨が降るかも知れない、と気象予報士が言うてますので、被害のないことを祈るばかり。
昨日、博物学者としての昭和天皇の話を書きました。そして、皇居にあったゴルフ場を原生林のような森にしたのも昭和天皇の英断であったと。
そしたら今朝の高知新聞。昭和天皇の侍従を務めた小林忍さんという方の日記が公開され、昭和天皇の、戦争責任や公務などに対する率直な感想などなどが書かれていたことが判ったのでありました。冷静に客観的に書かれた、とても貴重な日記。
で、まあ、戦争責任などの話は専門家の皆さんの議論に譲るとして、僕が嬉しかったのは、やはり、昭和天皇は博物学者であった、という一面をこの日記に垣間見ることができたこと。陛下が話す話題の中には、植物の話が多い多い。
1974年9月13日
佐藤達夫氏献上のアヅマシライトの所で「遺品だな。持ってきた人は死んでしまった。遺品だな」とおっしゃった。しんみりさせられた。
1978年6月20日
那須御用邸行幸啓。夜、那須から電話。日本帰化植物図鑑と高知植樹祭日程表をお忘れにつき送付されたしと。
1979年8月17日
那須御用邸行幸啓。お庭後散策の際「山ユリの花が今日までにすっかり終わったことは例年より1週間くらい早いのではないか。マルバダケブキの花がもう咲いているところから、今年の秋は早く寒さがくるのではないか」とおっしゃった。
1981年5月5日
レンゲツツジ満開。これは毒なので山野(那須でも)では馬も食べないためこれだけ残り、繁茂しているとお上。
1981年6月6日
御生研からのお帰り時、大池通りにクサイチゴの赤い身が多く熟していた。「クサイチゴの実は野生のイチゴとしては最もうまいものである」「ヘビイチゴの実は、以前には毒だと言われていたが毒ではない。しかし今では味がないとも言われている」
1985年6月27日
国立防災科学センター、筑波実験植物園においで。植物園ではカワラナデシコについて強い疑問をおもちで、ハマナデシコではないかと。
とまあ、こんな感じで、昭和天皇の侍従をやっていたら、かなり植物に詳しくなったんではなかろうかと笑ってしまう。
ここに出てくるのは植物ばかりだけども、変形菌やクラゲなどの話も、かなり多かったはず。いや、そんな話、興味のない侍従にしても仕方ないと思ってしなかったのかも知れんけど。
1987年4月6日
土曜日の御研究を午前中だけにすることについて御意見あり。午前中は1時間くらいしか時間がないので、須崎の採集物など研究するひまが少なくなってしまうので、午後を切ることは賛成しかねる。
これは、昭和天皇の研究に対する思いと、周囲の役人たちの価値観の相違みたいなものが現れている日記なのかも知れませんね。ほとんど「私」としての時間が無い中、生物研究が、人間として生きていくひとつの拠り所であったのかも知れない。その時間を削ってしまおう、と考えた役人は、昭和天皇のことが理解できてなかったのでしょうかね。
ここまで書いてきて、謎を発見。
高知の甫喜ヶ峰で、昭和天皇をお迎えして植樹祭が行われたのは、昭和53年5月21日だ。しかし、上に転載したように、その年の6月20日に、那須御用邸で、高知での植樹祭日程表を所望している。これは、予習しようとしていたのではなかったのか。と、すると、復習しようとしていたんだろうか。高知の植樹祭を終え、那須で静養されている時に、高知植樹祭の日程表を今一度見る、陛下。う~ん。所望したのは報告書だったのかも知れませんね。
どちらにしても、自分が関わった公務に、ちゃんと、キチンと向き合ってます。見習わんといけません。
それにしても、台風。
被害のないことを、祈るばかり。