高知商業〔5601〕2018/08/16
2018年8月16日(木)降ったり止んだり
さっきから、雷が鳴って激しい雨。へんてこりんなお天気になりました。よさこい期間中でなくて良かった良かった。
でも、高知自動車道、止まってます。こないだの大雨で高速道路の橋が崩壊し、下り車線を利用した対面通行になっている区間ね。航空写真では、その下り車線への土砂崩れの可能性も否定できん感じ。なので、時間雨量が20mmを超えたら自動的に通行止になるような設定になっているんだそう。それは、仕方ない。仕方ないけど、また、物流が大変です。
さて。写真は今朝5時、潮江の高知市青年センターグランド。正面が青年センター。その左手が県民体育館。高知市青年センター、市民図書館潮江分館などがあることからもわかるように、ここは高知市の所有する土地なんですね。昭和45年までは、ここに高知市立高知商業高校が、あった。塚ノ原の現在地に移転する前は、ここが市商でございました。
今日、市商は甲子園でベスト8進出をかけて戦います。その市商で野球をしていた江本孟紀さんは、この場所にあった市商に通っていたという訳だ。
ここに市商が移ってきたのは昭和4年。それまでは、追手前高校の東側の、タワーパーキングとかがある場所に、ありました。そこにあった高知商業学校を大正3年に卒業したのが、弊社創業者、吉澤八洲夫。その頃、高知商業学校卒業者で優秀な者は、どんどんと神戸の鈴木商店へと就職し、三井三菱に比肩すると言われた鈴木商店の中で「土佐派」と呼ばれて活躍しておりました。しかし、成績は最優秀であったものの、病気療養中の父を抱え、また、高知で活躍することを志した八洲夫は、高知で銀行員になることを選択したのでありました。そのことがなければ、今のひまわり乳業はなかった、ということになります。
高知商業学校の創立に尽力したのが横山又吉。この青年センターにも胸像があったと思います。初代校長として、19年間、高知の学生たちに商業教育、人間教育を施しました。もちろん、八洲夫も、横山又吉先生の薫陶を受けている。
その横山又吉先生と親しかった鈴木商店の大番頭、金子直吉は、横山先生に頼んで、高知商業学校からどんどんと俊秀を送ってもらったのでありました。神戸高商出身者の「高商派」と勢力を二分した「土佐派」は、飛ぶ鳥落とす勢いの鈴木商店の中で、そのように形成されていったのでありました。
この写真。このコンクリート塀は、高知商業の頃からそのままある、塀。戦前から、ここに立っている、塀。塀に、丸い穴が空いてます。これは、戦時中の、米軍機の爆撃によってできた、穴。終戦から73年。ここにも、まだ、戦争が残っている。
終戦後、商業学校は高知市立高知商業高校となり、幾多の若者を送り出し、高知の経済を支えてきました。今の現役の高校生は、ここに市商があったことも知りません。戦争の痕跡があることも、もちろん知らない。
でも、そんな歴史をくぐり抜け、今の高知があり、高知商業が、ある。先人に思いを馳せながら、今回の高知商業の甲子園を応援しよう。今までとは違うチームカラーの、市商。なんか、ワクワクさせてくれる雰囲気が満載ですもんね。