高知学園と、おたかの杜〔5602〕2018/08/17
2018年8月17日(金)晴れ
爽やかな朝。なんという気持ちの良い風だろう。盛夏は過ぎ(昨日、高知の甲子園も終わりました)、高知の夏も後半戦へと突入して参ります。子供たち、宿題は進んでいるかな?
で、残念ながら高知商業は負けました。でも、本当に爽やかな風を、僕らの生活に吹き込んでくれた今年の高知商業。良い時間を過ごさせて頂きました。で、昨日、高知商業学校があった場所のご紹介をしたので、今朝は高知高校。高知で「学園」と言えば、高知高校。高知中学、高知小学も、「学園」。
「高知学園」が「高知学園」になったのは、昭和31年のこと。それまでは「城東学園」だった。昭和23年に、城東高校、城東中学となった学園は、それ以前は城東商業、高知女子商業という学校だったと、学園の沿革に書いてます。そう。古い方は、城東商業と呼んでいました。それ以前は「江陽学校」。始まりは明治32年の「江陽学舎」。明治36年に「江陽学校」となり、明治39年に高知市北新町84に移転、とあります。
その場所は、この写真の左手。現在はマンションになり、その西側はスーパーマーケットになってます。そこに、昭和32年に旭の現在地へ移転するまで、「学園」がありました。江陽学校、城東商業、女子商業、城東学園、高知学園と名前を変えながら。
昭和32年に移転していった、その跡地南側には高知県立中央病院ができ、平成17年に高知医療センターができるまで、そこは病院でありました。
長々と、すいません。
その「学園」の東隣に鎮座ましますのが、多賀神社。通称「おたかさん」。山内一豊さんが、近江の多賀神社から勧請してきて長浜に開いたのが、多賀神社。明治13年、この場所に遷座し、今に至る。圧倒的な住宅地になってしまったこの場所に、おたかさんだけは、鎮守の森としての自然豊かな風情を残しています。
おたかさんの西に「学園」があった名残として、高知学園の応援歌に「おたかの杜の神主」が登場する、という話を以前にも書いたこと、あります。高校の応援歌に神主?ということで、不思議なこともあるもんだと思ってました。でも、マツダzoomzoomスタジアムへ広島カープの応援に行ったら、完全に理解できる話なので、ある。
宮島さんの神主が お神籤引いて申すには
今日もカープは 勝ーち勝ーち勝っち勝ち
これだ。このメロディで、高知学園の非公式応援歌がつくられていたのでありました。
おたかの杜の神主が 神籤を引いて申すには
今日の試合は高知が勝っつ勝つ
もしも高知が負けたなら 電信柱に花が咲き
焼いた魚が泳ぎだす泳ぎだす
もちろん原曲は花咲か爺さん。裏の畑でポチが鳴く~だ。作曲者は、明治時代の作曲家、田村虎蔵。カープの場合、著作権とか、どうなってるんでしょうかね。
ともかく、このメロディを、広島県内の学校が応援歌として使い始めたのが最初らしい。それを高知学園も右へ習ったのかも知れません。広島商業とかが使ったので、いつしかカープもやるようになり、今やカープ応援の定番曲となりました。
田村虎蔵さんもビックリ。
学園と、おたかの杜の話でした。