トイレ考〔5558〕2018/07/04
2018年7月4日(水)まだ、台風
台風7号、なかなか長い時間影響ありますな。昨夜から今朝にかけて、ガイに降ったり突風が吹いたり。そしてカミナリゴロゴロピカピカゴロゴロ。
朝、5時に出勤してきた頃合いには一旦雨も止んでたけど、6時過ぎた頃からかなり降りました。会社の僕の部屋からの景色はこんな感じ。時化模様。
で、昨日、昭和45年の10号台風が契機になって、水洗便所にした家が増えたのではないか、という推察を書きました。キチンと調べてみようと思いましたが、いつ頃からどのように水洗便所が広まっていったのかというデータ、なかなか無い。
高知市のホームページに、公共下水道の整備状況に関するグラフはありました。昭和45年の10号台風以降、急激に整備が行われているのは、これでわかる。
あの当時、学校の便所も、家のトイレも、汲み取り式だった。大丸や土電会館、おおやけの施設に、水洗式のものが作られており、憧れでしたよね。
汲み取り式は汲み取り式で、大切な役目を果たしてもおりました。そう。下肥。
大津、田辺島で農業を代々営んできた、高校の同級生Sくん。彼の話では、子供の頃、舟に農作物を乗せて国分川、浦戸湾から堀川を通って九反田の市場まで運び、帰りには下肥を積んで帰ってきていたとのこと。そう。都会で生産?される大量の下肥は、農家にとって貴重な肥料であった、そんな時代。汲み取り式の便槽は、大自然の循環の中で重要な役割を果たしておったのだ。
でも、西洋の食生活が普及し、野菜を生で食べる習慣が根付いた頃から、下肥、使われなくなりました。下肥を使うと、いろんなことが起こりましたよね。
僕らの子供の頃、蟯虫検査というのがあったよね。陽性になると、虫下しを飲まされる。
陽性でなくても、落ち着きのない僕らのような子供は、教室で騒いでいると、先生から「ザーザコしなさんな。蟯虫がおるがやないかね!」と叱られていた、そんな時代だ。覚えてますか?
水洗トイレの歴史を調べようと検索したら、こんなページが。一般社団法人日本レストルーム工業会というのの、立派な立派なホームページに、日本のトイレの歴史年表がありました。縄文時代のトイレは、川に直接用便するもので「川屋」と呼ばれ、厠になった、と書かれてる。ホントか?
縄文早期に「かわや」と呼ばれていたことは無いだろう。縄文人の言語は、今の日本語とは全然違うと思うので。こないだ書いたように、縄文人の流れを汲むアイヌの言葉では、川はnai。ナイ、だ。アイヌ語でトイレはナシンルと言うらしい。川と関係、あるのか?
そんな話は関係なくて、日本で最初に水洗式便器が作られたのが1914年、大正3年だって。
で、いわゆるウォシュレットみたいな、温水洗浄式便座、最初は輸入品で始まったって、知ってました?日本でガラパゴス的に発展したと思ってませんでした?
1964年、昭和39年に、スイス製とアメリカ製のものが輸入販売されたんだそう。国産で最初に製造されたのは1967年。昭和42年。でも、10号台風の頃は、そんなの見たことも聞いたこともありませんでした。
なんと言うても、「おしりだって洗って欲しい」だ。1982年。僕が大学生の頃。このコマーシャルでウォシュレットがブームを呼び、日本において、特殊かつ劇的な進化を遂げてきたのが、温水洗浄式便座でありましょう。
日本人というのは、基本、清潔好きと言われてます。特に都会に暮らす日本人は。
そんな嗜好性もあってのことか、今や、どこもかしこも温水洗浄式便座。
高知市内で水洗便所が普及するきっかけが10号台風の高潮であったとすれば、日本で温水洗浄式便座が普及するきっかけになったのは、間違いなく、あのCMだったと、台風の最中ですが、確信しています。