台風を契機にできたもの〔5557〕2018/07/03
2018年7月3日(火)降ったり止んだり
台風7号が九州の西。その影響で、時折ガイに降ったり風が吹いたり。まだ、直接的ではないけど、徐々に台風みたいな感じになってきました。気をつけましょう。
会社の裏手、物部川はこんな感じ。濁って増水してきてます。でも、まだまだ静かな物部川。
このにっこりでも幾度か書いてきたけど、僕らの世代の高知県人にとって、一番印象に残る台風と言えば台風10号。昭和45年に、佐賀町あたりに上陸し、高知を縦断して言った台風。丁度、高知港の満潮の時刻とも重なり、高知の市街地に甚大な高潮の被害をもたらした、台風10号。南与力町の僕の家も浸水、汲み取り式便所の悲哀を味わった人も多かった、あの台風。
あの台風が契機になって、便所を水洗にした家も多かったと記憶します。
商店街も水没し、台風の後、あちこちに積み上げられた瓦礫、ゴミから、何日間も悪臭が漂っていたのを今も思い出す。
で、あの頃。通っていた高知市立追手前小学校の、閉鎖されていた屋上へ上がっていく階段のところに、室戸台風の図が貼ってあったと記憶します。昭和9年に室戸に上陸した「室戸台風」と、昭和36年に同じような場所に上陸した第二室戸台風の進路、勢力が、地図の上に描かれてました。
コース的に、京阪神に甚大な被害をもたらした台風。僕らにとっては台風10号の方が重要なのに、あの地図をずうっと貼っていたのが、不思議だった。
もちろん今は、気象衛星による観測で、かなり正確に台風の勢力や進路が予想されます。で、気象衛星ができる前に活躍したのは太平洋各所の測候所と、富士山の測候所。新田次郎だ。いや、新田次郎の小説モデルになった野中到は、明治の時代の偉人で、新田次郎本人が気象庁の富士山レーダー建設に携わった、と説明しないと正確ではない。
昭和34年の伊勢湾台風が契機となって、富士山に気象レーダーを建設しよう、という機運が高まり、新田次郎が担当者になって昭和39年に完成したのが富士山レーダー。第二室戸台風には間に合いませんせした。
関係ないですが、今朝、「台風 観測 歴史」でGoogle検索してみたら、こんなページが出てきた。おう。入道さんではないか。西村入道さん。僕らの高校の先輩になるブルースシンガー、入道さんだ。今から7年前、東京のブルースバーで奇跡のように出会った入道さんのホームページに、これまた奇跡のように行き当たった朝。なんか、不思議不思議。お元気そうですね。
伊勢湾台風が契機になって、富士山レーダー。10号台風が契機になってできたものには、浦戸湾や鏡川の高い堤防があります。高潮対策でね。で、とても景観が悪くなった、浦戸湾。同じく10号台風が契機で増えた水洗便所は、街をキレイにしましたが。
ちなみに、日本本土に上陸した台風で、上陸時の勢力がもっとも強かったのが、上に書いた室戸台風で、911.6hPa。すごい。だから、学校に貼ってあったのか。
でもなんか最近、とんでもない勢力の台風が」毎年のように発生したりしてます。地球が少し変わってきたのかも知れません。雨の降り方も、極端になってきました。
高知は、妙に、大雨に強いという感覚を皆が持っていて、危機意識が薄いような気がします。98豪雨から、もう、20年経つのか。寺田寅彦先生の箴言を、今一度、胸に抱こう。
天災は 忘れられたるた頃 来たる