アジサイの咲く時代〔5541〕2018/06/17
2018年6月17日(日)朝は晴れてます
小さい台風が近づいてきてますが、今朝はまだ、晴れてます。梅雨の晴れ間は今日もつづく。
で、こないだ、中村の安並水車の里の写真をご紹介しましたが、あの四ヶ村溝沿いのアジサイ、終わりかけてました。アジサイの季節も、いよいよ終盤。
今朝は秦泉寺の実家に来てまして、庭のアジサイを撮影してみたのであります。ここのは、そんなにたくさんある訳ではないけど、色んな種類の色んな色のアジサイが、なんとなくあちこちにあって、なんとなく、好き。
整然と植えられた幾何学的な花壇より、色んな種を混ぜてぶん撒いたような、そんな野趣の花畑が、心落ち着くと思うのであります。いかがでしょうか。
昨日の高知新聞で、南国市、若宮ノ東遺跡発掘調査で、飛鳥時代と思しき評衙かも知れない建物の柱跡が発見された、という記事が紹介されてました。7世紀後半。その場所と、国衙があったと思われる国分とを結ぶと、真北から東に10度傾いた直線になります。年越山の鞍部を越えての直線なので、古代人の強固な意思が感じられると思うのは、僕だけなんでしょうかね。
東へ10度の傾きに関しては、以前、妄想を暴走させたことがあるので、ぜひお読み頂きたい。
で、その評衙跡かも知れない行こうと同じ時代の、古代寺院跡があるのが、ここ秦泉寺。秦泉寺廃寺跡遺跡の発掘については、以前にも書きました。
まだ、高知の市街地のほとんどが海だった時代。
南国市国分界隈にあった国衙と、秦泉寺の大きな寺院。
国衙からまっすぐ若宮ノ東遺跡に繋がった広い直線道路は、そこで直角に右折。すると、大津の港へつながる。大津で舟に乗り、古浦戸湾の北奥の港、中津へ。中津は愛宕山の麓。中津で舟を降りると、目の前に巨大寺院、秦泉寺。
そんな風景が目に浮かぶではありませんか。大化の改新から律令制度ができあがっていく、そんな時代の土佐の風景。
アジサイは、日本のガクアジサイが原種、とウィキに書いてます。そう。こんなアジサイ。で、万葉集にもアジサイを詠んだ歌が二首あるので、ここ秦泉寺に大きな寺院があり、若宮ノ東に評衙があった時代にも、こんなアジサイ、咲いてたのかも知れないね。そんな時代の土佐の風景。
言(こと)問わぬ 木すら紫陽花 諸弟(もろえ)らが 練(ねり)の村戸にあざむかえけり
紫陽花の 八重咲く如く 弥(や)つ代にを いませ我が背子 見つつ思(しの)はぬ