30倍ズームで妙体岩〔5540〕2018/06/16
2018年6月16日(土)良いお天気
またまた梅雨の晴れ間。台風が気になりますが、今日は晴れて良いお天気。高知へモンてます。
で、コンデジ予備機は、30倍ズームが自慢、てな話、こないだ書きました。今日はその30倍ズームを目一杯使って撮影してきたのである。遠くの、30倍でないとはっきり見えんポイントは、どこだ。そうだ、妙体岩だ。
結局、南国市の会社の近くから工石山を撮影してみたのであります。高知市の北に聳える標高1176mの山。鏡川の源流の一つが、あの工石山の賽の河原と言われてます。
で、工石山の中腹に、妙体岩という巨岩がある。たぶん、チャートの巨岩、妙体岩。この写真にも、はっきりと写り込んでます。わかりますよね、白っぽい巨岩。あれが妙体岩。
あの岩の下には石段があり、その下まで林道が通ってます。Googleマップで調べてみると、ここからあの岩の真下まで、車で行くと40km。1時間23分かかる距離。直線距離でも20kmを超える。ですが、さすがの30倍ズームでこのように撮影できました。すごい。
肉眼で見ると、白い点にしか見えません。
でも、点で十分。点だろうが何だろうが、はっきりと見えることが重要。海の男たちにとって、大切な大切な目印になったことは容易に想像できます。
山を立てる。山立て。
GPSもなにもない時代、海の男は、陸上の目印を見ながら自分の居る位置を確認しておりました。どの山とどの山が、どんな角度で見えるのか、とか。工石山の妙体岩は、太平洋からもはっきりと見える巨岩なので、目印には最適だったんだろうと思う。
土佐の有名な話に、山内一豊が関ヶ原の後で土佐へ入国する際、あの妙体岩のおかげで間違えずに浦戸へ入港できた、という言い伝えがある。ネットでも、結構出て来る話だ。
でもね。
船で最初にやってきたのは、弟の山内康豊さんだ。康豊さんが長宗我部の残党対策をおこない、一豊の安全な入国のお膳立てをsたところで、やっと土佐へ入ってきたのが、一豊。
一豊の採用した入国ルートは、大坂から船で甲浦。そこへ迎えにきていた康豊と一緒に、陸路、浦戸城へ向かったということになってます。
途中、浦戸へ向かうのに船に乗ったのかどうなのか。そうでないと、上の言い伝えと矛盾するね。手元に資料がないので、実際はどうだったのか、調べてみんとわからん、謎。
それはともかく、妙体岩。
妙体岩のおかげで間違わずに浦戸へ入れたことを喜んだ山内さんによって、石段が寄進され、大切にされてきたと言います。その巨岩は、遠く離れたここからも、30倍ズームではっきりくっきり。
僕は船酔いするし、釣りをしないので詳しくはないけど、まだGPSが無い頃の釣りの話を、先輩方に聞いたこと、あります。ロランというの、使っていた話。海のいくつかのポイントに置かれた無線基地からの電波を測定し、自分の位置を決めるという仕組み。GPSもで初めてたけど、ロラン使いのおじいちゃんが、おりました。
それ以前は、やはり「山立て」。
海の神様が山の上にあったりするのは、海の男にとって山がとても大切だったからかも知れません。海蝕洞と、神様が居る山のてっぺんが繋がっている、という信仰、沖縄から北海道まで広がっていると言います。
あの妙体岩も、海の男たちの信仰の岩であったのかも知れない。
20km以上離れても、はっきりくっきり。
ものごとに、目印は、重要です。