野中兼山とアジサイと水車〔5539〕2018/06/15
2018年6月15日(金)曇り
今朝は久々、中村。四万十市。こないだ、中村支店が移転したので、その関係。昨夜から少し雨が降った中村の朝は、雨に濡れて静かに美しい。
サンリバー四万十さんのホテルが新築されて、ついこないだオープンしたばかり。なので、そこに泊まってみました。ピカピカの新品は、心地良いですね。で、5時に起き出して走ってきました。今朝は後川沿い。
後川というのは、四万十川の支流。中村の市街地を南へ下ったところで、四万十川と合流する河川。中村市街地の東側を、北から南へと流れる後川。今の季節、土手には一面のヒメジョオン。白い絨毯が敷き詰められたすごい風景になっているのは、あまり知られてない。
四万十川本流は渡川と呼ばれ、東側から流れ込むのが後川。一条さんの城下町であった頃からの呼び名でしょうか。
戦国期、一条さんの支配下で栄えた雅な町、中村。藩政期になり、人口も増加し、農業生産力を上げていかなければならなくなる。そこに登場するのが、野中兼山だ。もうね、この方ね、どこにでも登場し、すごい治績を残す人。東は室津の港から、西は中村まで。縦横無尽の大活躍。
ここは安並水車の里。後川を遡上していくと、土手を東に降った用水沿いにあります。野中兼山開削の四ヶ村溝に、水車がたくさん。そして、紫陽花。
紫陽花、もう、終わりかけてました。でもまだキレイ。四ヶ村溝という名前は、この用水が、秋田、安並、佐岡、古津賀の四ヶ村を灌漑するために開削されたものだから。土佐の西の拠点、中村の繁栄を支える穀倉地帯として期待された、四ヶ村。
掲げられた説明板によりますれば、本当はもっと南まで掘りすすめる予定であったけど、古津賀の南の木の津あたりの岩盤が固く、断念したと書いてます。野中兼山先生をして、断念させるほどの岩盤か。ひょっとしたら、その労力対効果を考えたのかも、知れない。その南には広い平野、ないですきんね。
ともあれ、梅雨時の、水車の里。梅雨時にここへ来るのは、10年振り。10年前はこんな風景。まあ、そんなには変わってない。幡多郡を代表するアジサイの名所、安並水車の里。
とは言え、水車、ほとんど実用に供されてません。ただのオブジェ。これ、なんかに利用できたら良いのにね。ただのくるくる回るだけのオブジェでは、少し寂しい。
朝倉の水車なんか、ちゃんと田んぼに水を引いてます。
幾度か書いたように、県下のアジサイ名所は、野中兼山さん絡みが多いです。ここ。野市、父養寺あじさい街道、春野のあじさい街道など。400年前の用水は今も灌漑用水として活躍し、アジサイが僕らを楽しませてくれる。
やはり、野中兼山、恐るべし。