花之丞の思い〔5533〕2018/06/09
2018年6月9日(土)晴れ!
昨日から昨夜にかけて、降りましたね~。結構、降った。そして今朝は晴れ。こんなに晴れるとは思うちょりませんでしたね。まるで、夏だ。
雨上がりの朝、という訳で、早朝の風景は靄、霧で霞み、幻想的な風景を醸し出しておりました。
写真は、朝6時前の風景。東部自動車道。稲生から向山を越えて香長平野へと下る地点で撮影。香長平野は白いカーテンの向こう側に霞んでいる。霧を突き抜けて差し込んでくる太陽が、眩しい。
この北側は伊達野。南国市伊達野。いたちの、と読みます。その伊達野から、この山(向山)を越えて南側の稲生へとつながる山道がありました。
その峠近くには、たくさんの戦争遺跡。向山戦争遺跡と名付けられたその遺構は、太平洋戦争末期、鉢伏山腹に陸軍第11師団司令部が置かれた時代に、米軍上陸作戦に備えた防御施設の数々でありました。この高速道路建設に際して行われた埋文調査の現地説明会で、手彫りのトンネルを歩いたのは、もう、10年も前になるのか。
てっぺんの峠から少し南へ下った所に、祠があった。ああ。どんな祠だったか、正確に覚えてないぞ。写真も撮ってないのか。残念。
伊達野と稲生をつなぐ往還の、峠。その昔には、結構、人通りが多かったのだと思う。
今はトンネルが抜け、その上を高速道路も走っている。あの峠の神様(お地蔵様?)は、どこに行ったんだろうか。あの場所は、間違いなく、この道路によって切り崩されてなくなってしまった。
切り崩されたと言えば、この北側の船岡山。元々、標高54mあったという船岡山も、内側の珪石が掘り尽くされ、外周のみを残す山になってしまいました。こんな感じ。
山の斜面に鎮座ましましておった住吉大明神は、今は外周から突き出すように造成された場所に遷座しています。船岡山の住吉大明神。と、言うくらいなので、海の神様ですな。そこからは海は見えないけど、住吉の神様が祀られ、古くからの信仰を集めたお宮さん。
その住吉さんの奉納相撲は盛大で、山内のお殿様も観に来たという程のものであったと言います。
そして、山の南裾の、東西に300m以上伸びる直線道路。
この直線道路、昔は馬場であり、桜の名所であったと言います。桜の馬場。
有名な話が残ります。
花之丞と呼ばれた花マニアの男の話。花が好きで好きでたまらない、それで花之丞と呼ばれるようになった男が居ました。各地で桜の苗を探してきて、ここの馬場に、植える。植える。植え続ける。そしていつしか馬場は桜の名所となり、遠くからも人々が見物にやってくるように、なった。花を見て喜ぶ人々を見るのが、花之丞さんの一番の楽しみであったのか。
文政六年(1823年)春の朝、花之丞さんは、いつもにも増して素晴らしく咲いた桜の花に埋もれて亡くなっていたそうです。
200年が過ぎ、船岡山は、もう、桜の名所ではなくなってしまいました。
でも、高知市の堀川の桜、春野あじさい街道、春野六條八幡宮のアジサイ、などなどなどなど、現代の花之丞さんたちによって植えられ、守られている美しい風景が、たくさんあります。
時代が変わろうと、人の思いが、風景をつくる。