あんずパイと百円札〔5519〕2018/05/26
2018年5月26日(土)曇り
少し肌寒さも感じる、朝。お天気気候はあっちへ行ったりこっちへ来たり。
高知市の、大橋通り商店街から電車通りを渡って南へ行くと。そこは天神橋通商店街。昔は南大橋通りと呼んでいた、小さな商店街。僕は、家から追手前小学校へ通うのに、その商店街を毎日駆け抜けてました。もう、50年前の話か。もう、そんな昔の話か。50年。半世紀。
ここをランドセル背負って走り抜けていたのは、ほんのこないだのような気がするのにね。
そして半世紀前まで、日本国内で一番流通していた紙幣が、この百円札。板垣退助の。今でも使えるというこの紙幣、今は150円くらいで売買されてるとのこと。
天神橋通商店街では、毎年この時期、板垣退助生誕祭というのをやってます。板垣退助は1837年5月21日生まれ。土佐藩馬廻格の乾家に生まれたというのはご承知の通り。いわゆる、上士だ。お城に近いこの界隈は、身分が比較的高い上士の居住エリア。
で、生誕祭では色んな催しをやっているけど、その一つが、百円札でお釣り、というやつ。1000円以上の買い物をこの商店街ですると、お釣りに、百円札1枚使ってくれるというものだ。これは買い物してこなくっちゃ。
と、言う訳で、昨日与力町の駐車場に車を停めた際、行ってました。懐かしの天神橋通商店街。
もう、行く前から、何を買うのかは決めてました。これだ。「御菓子司 小笠原」の「あんずパイ」。ああ。懐かしい。
与力町に本社があった頃、よく、これ買うてきて食べてました。今もそうかも知れんけど、金曜日限定。金曜日だけしか買えない「小笠原のあんずパイ」は、焼きたてで温かくて、とても美味しい。
昨日は偶然金曜日。これはもう、あんずパイを買え、ということだ。そういうことだ。
おいしかったです。
与力町で仕事をしていて、今は南国の本社に移ってきた事務員さんたちも、懐かしそうに食べてました。
お釣りにもらった百円札。僕らの世代にはお馴染みの、百円札。
板垣退助というと、この写真のイメージが強烈。このイメージが激烈に刷り込まれているのが、僕らから、僕らより少し上の世代でしょうか。ひげじいさんの、板垣退助。
こんな写真の精悍な板垣退助を知ったのは、大人になってからでした。でも、この若い頃の雰囲気の方が、やんちゃであった板垣の人格をよく表しておりますよね。
最近のお札には、政治家は登場しません。色々と考慮してるんだろうと、思う。
野口英世、樋口一葉、福沢諭吉だもんね。先代は、夏目漱石、新渡戸稲造。誰が決めてるのか知らんけど、なかなかマニアな選択と言えましょう。
その前。つまり、僕らが子供の頃のお札に登場していたのは、聖徳太子、聖徳太子、伊藤博文、岩倉具視、板垣退助だ。
今思い出したけど、一万円も、五千円も、聖徳太子だった。百円札とともに消えていった五百円札は、岩倉具視。
なかなか、政治色が濃いのが、かつての紙幣の人選だったことが、わかる。
出身地を見てみよう。
奈良県。奈良県。山口県。京都府。高知県。
佐賀県。岩手県。東京都。
佐賀県。東京都。福島県。
議会制民主主義の大切さを謳うため、戦後、百円札は板垣退助にしたんだと思います。国会開設などに大きな役割を果たした、板垣だから。この百円札の裏面は国会議事堂であることからも、その意図が窺われる。そういう意味で、この百円札は、意味があった札なんだと思いました。
懐かしい時代。