手水舎と動的平衡〔5508〕2018/05/15
2018年5月15日(火)晴れ!
良いお天気。少し、霞がかかったような空。
写真は今朝、5時前の野市、上岡八幡宮。もう、こんなに夜明けが早くなりました。4時半頃から空は明るくなり始める。
軽トラのヘッドライトに照らされ、ミレーの「晩鐘」みたいな色調に浮かび上がる、氏子のおじさん。毎朝、ああやって境内を清めてくださっている、おじさん。頭が下がります。
おかげで、この八幡様の境内は、いつも美しく保たれている。尊崇する気持ち、地域に対する気持ち、自分への戒め。色んな気持ちが、この毎朝の清掃に込められているんだと思います。
右手。参道の真ん中のブルーシートの下には、水盤。その向こうに、新しい手水舎が立ち上がりました。まだブルーシートがかかってますが、その下には真新しい屋根が。
このおじさんの話では、「下咥内にご寄進してくれる人がおって、新しゅうに建て替えゆうがよ」とのこと。有難いこと有難いこと。産土神、氏神様は地域の紐帯。その紐帯は、氏子の皆さんの気持ちによって支えられ、つながってゆく。
コミュニティのひとつのモデルが、ここにある。
僕がここにお参りを始めたのは、こないだも書いたけど2005年12月15日のこと。12年と5ヶ月前。ひまわり乳業南国工場の氏神様ということで、お参りしたのが最初。
あれから、新しくなったもの。
まずは石垣の補修工事。2012年5月。かの大震災の1年後だ。耐震補強でしょうね。石ひとつひとつに番号が振られ、全部バラして組み直しました。拝殿前の地面も舗装され、玉垣も補修。
その約1年後には、上岡山の避難路が整備。南海地震の津波から避難するルートが整備された訳です。
2016年の夏には、拝殿の耐震補強工事。拝殿の屋根を支える柱が頑丈なものに取り替えられ、階段も真新しくなった。
おっと。忘れてはならんのが、参道入り口の舗装工事。2014年1月。物部川堤防の補強工事を施工していた福留開発さんから、上岡山に避難路ができたことへの感謝の印として何かできないか、との申し出があり、参道入り口スロープの舗装工事を無償でやってくれたのであります。その日のにっこりにも書いたけど、志(こころざし)。
福留開発の、今は亡き福留脩文さんは、川の外科医として名を馳せ、自然石の配置などを利用した河川改修工法で日本の川の景観に革命を起こしました。近自然工法の父。志の人。
もうひとつ。2016年。この八幡様の参道を南東に伸ばしていった田んぼの中に、鳥居の痕跡がありました。先の大戦で、米軍機の爆撃によって破壊された鳥居。戦争遺跡として、地元の方が、わざわざそのままで残していた。その鳥居痕跡が、高知東自動車道のルートに当たった。そこで地元の、この写真に写るおじさんたちが頑張って、少し場所を移してそのまま存続させることに成功した話。
地域の皆さんの、志。
そんなこんなで、今回の手水舎。変わらないように見える地域の要は、動的平衡のように、変化しながら見事に続いてゆく。
志。気持ち。動的平衡。