上岡の戦争遺跡を後世へ〔5509〕2018/05/16
2017年5月16日(水)曇り
会社の氏神様は、野市、上岡八幡宮さん。出勤途中にお参りしてます。もう、何千回もお参りした計算になる。
その参道を南東方向へ延長すると、ここ。現在は高知東自動車道の建設現場。このオブジェ、以前はこの向こう、高速道路ができている場所にありました。鳥居の脚と、幟立て。幾度もご紹介してきたのに、これが戦争遺跡であると知ったのは、2013年のこと。ちょっと考えたらわかるのに、迂闊だった。
高速道路の工事で縄張りに旗が立てられ、どうやらその戦争遺跡が道路になってしまう、ということに気付きました。なくなってしまうのか、と残念に思いました。ところが、地元の皆さんの働きかけと行動により、この場所に移設、存続されることになったのには感動。転がっていた笠木の部分も横に並べられ、ちゃんとした戦争遺跡となったのであります。
今朝、道路の方からこちらを眺めてますと、その戦争遺跡の鳥居の脚の部分に、何か立てかけてある。文字が書かれている、何か。
早速近くに行ってみました。
おう。花崗岩の磨かれた石に、これが戦争遺跡であることをキチンと刻み込んだのか。早速文面を読むと。
「ここに建っている鳥居と幟立ては参道の先四十メートルに建っていたが、昭和二十年五月三日米軍B29により上岡地区が爆撃を受け、爆弾が近くに落下し鳥居の上部が吹き飛び破損した。平成二十八年十月東部自動車道の建設によりこの場所に移設したものである。約百七十年前に鳥居を建設された三人の意思を尊重し、戦争の遺跡として後世に伝えたくて石碑を建立する。
平成二十九年六月吉日
上岡八幡宮宮司 山中秀彦
上岡八幡宮総代 一同」
知らんかったけど、去年の6月にできていた模様。まだ、このように鳥居の脚に立てかけているだけですが、間も無くしかるべく設置されるものだと思われます。地元の皆さんの思い。すごい。
現在の高知空港の場所に海軍高知航空隊の飛行場ができたのが、昭和19年3月。硫黄島を米軍がほぼ制圧したのが昭和20年3月17日。そして3月19日から、日章の海軍航空隊飛行場への米軍機による攻撃が始まった。
そして5月3日。物部川の対岸である上岡に、B29による集中的爆撃が行われました。上岡山などに、軍の施設が構築されていると睨んでの爆撃だと思います。
その日の爆撃については、上岡に「被曝之碑」が建てられており、詳細はその碑に刻まれ、後世に伝わっています。
その同じ爆撃で吹き飛ばされたのが、この鳥居。
ここに、そのことを伝える碑が建つのは、とても良いこと。「被曝之碑」と併せ、ここにも戦争があったことの証として、子供達に伝えていって欲しいと心から願います。
出勤途中。良いものを見ました。