梅雨と「ながせ」〔5507〕2018/05/14
2018年5月14日(月)晴れ!
昨日は一日降りました。今朝はすっかり雨も上がって五月晴れ。
また、風景の中の緑が一層濃くなった気がします。
そうそう。こないだうちから「五月晴れ」という表現、幾度か使ってしまった。テレビの天気予報でも、この5月の爽やかな青空を「五月晴れ」と呼んでるので、間違いではない。
でも、そもそもの「五月晴れ」は、梅雨の間の晴れ間のことだった。
そうりゃあそうだ。旧暦の五月は、現在の梅雨時分の季節。その五月の晴れということは、梅雨の合間の晴れ間、ということになる訳か。言われてみれば、そう。
まだ、高知は梅雨入りには早い。過去のにっこりひまわりを見れば、梅雨入りの時期がよくわかります。で、概ね、6月初旬くらいに梅雨入りしているのが、高知県地方だ。
なので、梅雨入りには、まだ半月以上はあると思う。6月になってから五月晴れとは言わんので、いつしか五月晴れは今日みたいな爽やかに晴れた日を言い、梅雨の晴れ間は「梅雨の晴れ間」と呼ぶようになったのだ。そうなのだ。
梅雨の語源は、中国から来てます。
ネットで調べると、元々は黴雨と書いていた。雰囲気は伝わるね。黴が生えるほどにジトジトした雨の季節だから。でも、それではあんまりだ、ということで、同じ音の「梅」の雨に文字を変えたという説。梅のみが熟す時期だから。
で、その梅雨という漢字が日本へと入ってきたのは江戸時代になってなんですって。日本ではその時期の長い雨のことをどう呼んでいたのか。
「つゆ」というのは露からきた呼び方ですが、全国的な一般的呼称となったのは、どうやら江戸時代。五月雨(さみだれ)も、梅雨を意味する言葉であったのは間違いないけど、いつ頃からそうなったのかは、よくわからん。
たぶん、地方地方で、呼び名が違っていたんだと思う。
高知では、今も、梅雨のこと「ながせ」と呼びます。ごく普通に。年配の方だと、「つゆ」よりも「ながせ」の方が一般的なのかも知れないくらい、「ながせ」は使われてます。
だから、ひょっとしたら、土佐では昔から「ながせ」だったのかも知れません。昔から、この時期の長雨を指す言葉は、必ず存在したと思う。農作業にとって、非常に重要で影響の大きい長雨なので。
土佐最古の農業書と言われる、天明七年(1787年)成立の「物紛」を呼んでみると「入梅」などの言葉が出てくるので、もう、江戸時代中期には梅雨という言葉が土佐でも使われていたことが判ります。でも、たぶん、一般には「ながせ」と呼んでいた可能性が高いですよね。
写真は今朝、4時前の潮江天満宮。飛龍梅の実が大きくなってきました。昨日の雨に濡れて光る梅の実。まだ青い実。この実が熟してくる頃になると、土佐は「ながせ」の季節。