地震碑と算木積みの石垣〔5503〕2018/05/10
2018年5月10日(木)快晴!
今日も爽やかな五月晴れ。朝の風が涼しい。今朝も野市、上岡八幡宮。
香南市野市町上岡字手水屋敷の、お宮さん。その参道入り口。この右手からスロープを上がって鳥居をくぐり、お参りするしつらえ。
台地の端に鎮座し、台地の下から上がっていくようにお参りする。これは、日本の神社などで一番よくあるパターン。
そう。この上は洪積台地、更新世段丘で、下は扇状地。土地の成り立ちが、違います。
こないだもご紹介したように、ここへ初めてお参りに来たのは2005年12月15日のことだった。その時、この参道入口の脇に立てられた地震碑のことも、書いてます。
今まで、この、安政南海地震の津波について刻まれた地震碑のことを幾度も幾度も幾度もご紹介してきました。
裏面に刻まれている文面は、こう。
「嘉永七年寅十一月五日大地震、地所によりしづみ、浦々人家流失、いたみ夥敷、上丘西川原まで浪来る事を記」
物部川の、この西側まで津波が遡上して来たよ、という警告文だ。これは重要な記録。
で、この碑が建てられたのは、大津波から28年も経過した、明治十五年。今まで、キチンとご紹介したことなかったですね。迂闊にも。表面の、文面。
明治十五年八月 従氏子中 築石出来 嶋内武金建之
ちょっと文字が特殊で判読があやふやな部分もあります。ご容赦。
とにかく、この碑は、この石垣が完成した記念に立てられたんだということがわかる。わかりますよね。と、いうことは、この石垣は津波対策でもあったのか。最悪想定では、ここまで津波が押し寄せる訳だから。わざわざ、津波がここまで上がって来たことを記す碑を、新しくできた石垣の上に建てたというのが、妄想力をかきたてる。
この石垣。基本、丸石。つまり、この物部川界隈で普通に転がる石を積んだもの。川の流れで丸くなた石ですね。ところがこの角部分。そして参道入り口の斜面部分。ここには大きな、四角い感じに切り出された石が使われてます。この角は算木積みだし。
算木積み。
にっこり読者の方は、もう知っている。直方体の石を、長い面、短い面が交互にくるように積むのが算木積み。それにより、強度が確保されるんですよね。ちゃんとした専門家が、どこかから大きな石を切り出してきて、頑丈に積んだ石垣。
この大きな石は、この界隈で産出する石ではないと思います。ひょっとしたら三宝山の辺りから切り出して運んできたのかも知れません。そうだとするとなかなか大変。
でも、地震や津波にも耐える頑丈な石垣を築くという意思があったんでしょうかね。
真相は、わからない。でも、こんななんでもない風景と刻まれた文章を見るだけで、先人の思い、意思、願い、様々なものがわかってくる。
僕らは、先人の思い、意思、願いの中で、生きている。