やまももは、つづいてゆく〔5504〕2018/05/11
2018年5月11日(金)快晴
五月晴れはつづく。朝は涼しく、昼間は暑いくらい。とても過ごしやすい季節が、つづいています。
本社棟2階の窓の下には、大きなヤマモモの樹。窓の高さまで木の枝を張り巡らし、実をつけ始めたヤマモモ。まだ緑色の小さい実。これから赤く色づいていきます。
高知県人はヤマモモを食べるのが大好きです。季節になると、ザルに真っ赤なヤマモモを盛ったヤマモモ売りのおばちゃんが、家々をまわってました。高知県人にとってのソウルフルーツと言えましょう。ヤマモモ。やまもも。楊梅。
昭和52年に第1集が発行された、高知県こども詩集に「やまもも」という名前が付けられたのは、高知県人とヤマモモの深い深い関係からだと思う。今になって思えば、見事なネーミング。
世の中に食べ物が溢れ、色んなフルーツが出回るようになって、あまりヤマモモを食べんなりました。今の子供達にとって「やまもも」と言えばフルーツではなくて、こども詩集なのかも知れません。
実家にあった、昭和54年5月発行の「やまもも第3集」のあとがきには、こう書いてある。
「高知県の教育の場に土性骨のすわった人間を、という願いをこめてやまももは生まれました。」
目指すは、「生きる力」にあふれた「詩で育つ子供」。詩によって、子供達に生きる力を身につけさせよう、という試みなのか。
まあ、理想はともかく、子供達の感受性、感性、表現力を涵養するのにはとても良い取り組みだと思う。なにより、読んでいて楽しい。どうやら「やまもも」に掲載されるのは、なかなかの競争率とのこと。親としては嬉しかったり、内容によっては恥ずかしかったり。
ぼくのはらの中に ミルクがおる こぼこぼしゆう
みんな やすまんずく ぐうーっとのんでんや おもしろいで
ぼくのはらの中に まだミルクがおる
小学校1年生の、この表現は見事。はらの中にミルクがおる。こんな表現、僕らには不可能。子供は天才的言語感覚を持ってます。
本社営業のO君は、小学生の頃、弟が書いた作品に登場したことがあるそうです。
「おにいちゃんは、夜、一人でトイレに行けません」といった内容の詩だったそうで、先生に「おまん、やまももに書かれちゅうぞ」と言われて初めて気付いたそうですね。
すごい。「やまもも」に登場する経験というのは、なかなかできませんきんね。羨ましいかどうかは、内容にもよるけど。
今月下旬、第42集がでるという「やまもも」。
昔との違いは、土佐弁そのまま、というのが少なくなったことでしょうか。時代を映しながら、「やまもも」はこれからもつづいてゆく。