久礼坂、旧道の旧道〔5477〕2018/04/14
2018年4月14日(土)曇りのち小雨
昨日は、中村で飲んでました。四万十市の中村。幡多地区の畜産に関連する人達が一堂に会しての、交流会。今回、幡多のJAさんが音頭を取って、初めて開催されたのでありました。もちろん酪農関係者も多いですが、肉牛や豚の生産者さん、関連業者さんなども出席してまして、とても刺激的な一夜となったのでした。
で、四万十市で酪農業を営むYさんに引きず・・もとい、中村の街をご案内して頂いて、都合4軒。今朝起きたら、声が枯れてました。飲み過ぎね。でも、とても有意義な夜。
さっき別れた畜産関係者と、別の店でまた遭遇、みたいなのを繰り返しながら、小京都中村の夜は更けていくのであった。
で、今日は車で高知へ帰ってます。午後、高知市内で用事がありまして。
で、途中、以前から走ってみたかったここをRUN。正確言うと、走ったり藪を漕いだり。
走ってみたかったのは、久礼坂の旧道の旧道。中土佐町久礼から、四万十町の七子峠(287m)へとつながる上り坂が、久礼坂。
元々、ここを上る道は添蚯蚓坂という山道がありました。そしてお遍路さんが利用する大坂道。今も、そのルートはお遍路さんが歩いたりしているので、ちゃんとした山道になっていると思う。それは、僕の通る道ではない。
僕が通るべき道。それは、旧道の旧道。ほとんど誰も通らない道だから。
高速道路が窪川まで開通し、しかも須崎から西は無料区間ということで、通常、皆、高速道路を通るようになりました。それまでは国道56号線久礼坂。今も久礼坂の国道はキチンと存在するけど、交通量は格段に減りました。旧道、といった風情になった、国道の久礼坂。
その久礼坂には、旧道がある。それは、知ってました。でも、今は廃れてしまい、ほとんど通る人も居ない、旧道の旧道。
それは、明治27年に開通した、幅2間の、道。その道を、人力車や馬車が通るようになりました。その道。
車を、七子峠に置く。で、国道を少し駆け下り、旧道へと入っていく。もちろん未舗装で、道路は存在する。でも、雑草が生い茂り、道も荒れ放題で、かなりの藪漕ぎになりました。これぞ僕の歩く道、だ。
途中幅10mくらいの土砂崩れがあり、もし足を滑らしたら遥か下方の谷へまっすぐ落下していくこと間違いなし、の、崩壊土砂急斜面を、脆い岩にかきつきながら通過したのが、一番怖かった。
走るどころではなく、慎重に、藪を漕ぐ。その途中で撮影したのが、この写真。こんな感じね。向こうに国道の久礼坂が見えます。いくら藪が深くなっても、引き返す選択肢は、ない。あの崖崩れ現場をもう一度通る勇気はなかったから。
で、かなり進むと、国道に出ました。時間がなかったので、途中から国道を駆け下り、また旧道の旧道を走ったりして、土佐久礼へ。
JRの土佐久礼駅から汽車に乗り、影野まで引き返して、車へ。時間がない、というのは、この区間を走る汽車が、1日に何便もないから。間に合いました。
ひまわり乳業を創業した祖父は、大正時代の若い頃、銀行員でした。最後は窪川の支店長。で、久礼坂を人力車で下った、みたいな話を、今、思い出しました。
そうか。今日僕が藪を漕いだ道。おじいちゃんが、人力車で通った道。
その道は旧道になり、そして旧道の旧道になる。時代は遷り、風景も、生活も変わってゆく。たまにこうやって、かつての風景を探してみるのも、楽しい。