水通町、近藤長次郎〔547〕2004/10/14
2004年10月14日(木)快晴!
いやいや、今朝も見事な秋晴れですね。爽やか爽やか。
ここは、上町二丁目を南へ下った水通町。真ん中に水路があるのが特徴の道路でございます。藩政期、下級武士や職人さんたちが住んだ町ですね。その頃からここには水路が通され、職人さんが使用したり生活用水として使われたりしよりました。ご覧の標識にもあります通り、この界隈は坂本龍馬や近藤長次郎、河田小龍などの幕末の偉人がたつくりまわったエリアなんです。このにっこりでも何度もご紹介しましたね。
ひまわり太郎が好きなのは近藤長次郎。龍馬の幼なじみで、ここから30m南の饅頭屋「大里屋」で生まれ育ちました。海援隊きっての俊才と言われた人物です。長次郎は、長崎のグラバー邸で有名なグラバーさんからユニオン号という船を買い取り、薩摩藩籍のまま長州藩に貸し出しました。龍馬が考えた、薩長の同盟を実現するためにです。この際の薩長の連合は非常に難航しますが、実現にこぎつけたのは、長次郎の才覚と粘りの賜物であったと言われております。時に饅頭屋長次郎28歳。すごいですね。
そして、グラバーさんの申し出とも長州藩の謝礼とも言われていますが、長次郎は密かにイギリスへ渡る計画を立てます。このことが亀山社中(海援隊)の内規に触れ、自刃してしまいました。丁度その時、龍馬は居なかったのだそうです。龍馬が居れば、そんなことにはならなかったのではないか、と推察されるところです。惜しいですね。
この薩長の調停工作を行う為に大阪を出発する際、妻子に送った歌が残されています。俊才長次郎らしい、とても美しい字で書かれております。
うき雲の 立ちおほふなる 浮世なり
消えなばこれを かたみともみよ