護国神社、迅衝隊〔5464〕2018/04/01
2018年4月1日(日)晴れ
4月。明日には新入社員さんが入ってくる、出発の季節。もう、10日以上咲いている桜も、今日まででしょうか。昨日のてんくろうの会恒例お花見、出席された皆さんも、穏やかな天気と桜吹雪、おいしい高知県産和牛のお肉などなどを満喫しておりました。雪ヶ峰牧場。
雪ヶ峰牧場で放牧されている乳牛はジャージー種で、運動するときに来たりするジャージと同じ語源、つまり、英国ジャージー島の島名に由来する、という話、書きました。
と、言うことは。
僕がいつも走るときに来ている、このウェア。どれはどうやらジャージではない、ということに、今、気付いた。そうか。
ジャージー編みの伸縮する布地を使ったウェアが、ジャージとすれば、僕のは、違う。軽さにこだわったペラペラのポリエステル100%。上下ともね。伸縮性は、まったくありません。だから、これをジャージと呼ぶのは間違い、と気付いた春の朝。
それはともかく、今朝は五台山。久々の朝五台山RUN。で、いつもの車道ルートを走らず、護国神社からのルートにしてみました。護国神社のあの桜が、どんなになっちゅうのか見てみたかったし。
護国神社には、高知県出身並びに縁故ある戦没者の御霊が祀られているのは、ご承知の通り。靖国神社と同じで、そもそも、戊辰戦争に従軍して戦死した人々を慰霊するのが始まり。靖国神社は、大村益次郎が創建に尽力、明治2年に東京招魂社として始まったという。高知県護国神社は、最後の土佐藩主山内豊範さんが、戊辰戦争で戦死した土佐藩士105柱を招魂、慰霊するために、五台山のこの地に建てたのが、始まり。最初は大島岬神社と呼んだけど、明治8年に招魂社。昭和14年に高知県護国神社。
戊辰戦争に従軍した土佐藩士は、板垣退助を総督、大隊指令に仰ぎ、大軍監が谷干城とし、迅衝隊という名称の軍隊が組織されて東山道を東上して行きました。まあ、いわゆる官軍だ。よく知らんけど、たぶん、十五番隊まであって、それぞれに隊長、隊員が居たと思う。
板垣がトップであっただけに、なかなか良い組織運営が為されていたと言われますね。やはり、トップは大事だ。
で、護国神社の参道の石段脇には、このような石灯籠。これは、六番隊のメンバーが御寄進したもの。
この迅衝隊とは別に、胡蝶隊という、御馬廻薬以上の上士のみで編成された舞台もあったことは、あまり知られてないですね。でも、ここ護国神社の、この写真の場所の近くに「第一胡蝶隊」と刻まれた立派な石灯籠が御寄進されてるので、たぶん、偉そうに存在してたんだと、思う。
最近、明治維新150年とかで盛り上がってます。善き哉善き哉。でも、最近、歴史の事実と向き合う中で、薩長史観だけではだめだ、という議論も起きているのも、面白い。太平洋戦争では、明治維新で「官軍」だった者の子孫が中心になって無理な戦争を推進し、「賊軍」に貶められていた人たちの子孫が、冷静に戦争終結への道を導いた、という見方もあったりしてね。
ともあれ、護国神社の桜、今日まではなんとか大丈夫そうでした。