土佐凧、土佐イカ〔5462〕2018/03/30
2018年3月30日(金)晴れ
風が少し強い。長く長く咲いてくれた桜も、今日でかなり散ってしまいそう。まあ、よく頑張ってくれました。ご苦労様。
そして高知は田植えの風景へ。もう、しばらく前から高知は田植えシーズンに突入。あちこちの田んぼに、小さな稲が見られるようになった。春の、長閑な高知らしい風景。
以前、幾度も二期作のこと、書いてきました。その作付け面積や歴史については、2012年7月21日に、詳しく書いてます。なるほど、という歴史。
もちろん、稲生界隈で石灰産業が起こり、盛んになったことと密接な関係がある、二期作。最初は、大水が出たりした後の田んぼで、再生稲の生育がとても良いことから、偶然、自然発生的に始まった、みたいに言われてますね。
そう。普通の早稲だった。8月後半に稲刈りということで、今の二期作の極早生に比べたら一ヶ月くらい遅いんですな。この、花見の時期に田植えをする、ということは、なかった訳だ。
明治後期になって、菊太早稲とか衣笠早稲という、極早稲の品種ができて、3月に田植えするようになったみたい。
大昔からの風景ではなく、近代になってからの風景、という訳だ。
普通に思ってるけど、実は以前は違っていた、みたいな話、あります。
今日の日経新聞の文化面。
凧はもともと「いか」だった
という興味深い見出しとともに、イカがタコになったのは江戸時代になってから、という話が載ってました。平安時代に中国から日本へ入ってきた際には「紙鳶」。しえん。紙のトンビか。なるほど。
で、いつしか、その、長い尾を引いて空を舞う姿がイカに似てるので、「いか」とか「いかのぼり」とか呼ばれるようになったんだそう。なるほど。
で、江戸時代に関東へ伝わったとき、イカに対抗してタコと呼んだのが、タコの始まりという説が有力と書いてます。
明治になっても、まだ、関西では「いかのぼり」だったのが、東京中心の文化が広まり、「お正月には凧あげてー」という歌が流行るのと相俟って、凧揚げになってきた、というのが真相らしい。
と、なると。
関西では、明治中期までは「凧揚げ」ではなくて「いかのぼり」が、普通の言い回しであったということなのか。
で、土佐凧。
あの、でかくて四角い凧。あの土佐凧をあげて、色んなことを祝う、寿ぐ、てな風習は、藩政期初期に遡る、という話を聞いたことがあります。土佐では、当時から「タコ」だったのか。
それとも、当時は「土佐イカ」と呼んでいたのか。
謎が深まる春の朝。