あれから7年〔5443〕2018/03/11
2018年3月11日(日)晴れ
7年目。あれから7年。
時が解決したもの、しなかったもの。今日は、テレビでも、あの大震災の番組、やってます。僕らはちゃんと、覚えているんだろうか。ちゃんと、対応しているんだろうか。
東北出身で、あの大震災のとき、気仙沼市で仕事をしていたサンドウィッチマンが、一昨年、5年でひとつの区切りとなった、みたいな空気がとても嫌だった、と話してました。そう。まだまだ震災後は続いている、現地。
過去の大自然災害との違いの一つが、原発。これはもう、人災であり、やりきれない思いがつのります。遠い未来を、僕らはちゃんと見ているだろうか。
あの大震災の後、人間のやることの無力さがクローズアップされました。もちろん、防御のインフラを整備するとかは、大事。でも、あの時の風景を見ると、一番大切なのは、逃げることだと皆が思ったと思います。まず、揺れに対する対策をとる。そして揺れがおさまったら、逃げる。逃げる場所の確保が最重要だ。皆、あの時にそんなことを思ったこと、覚えているでしょうか。
地震後、命山のことを、このにっこりでも幾度か書いてきました。
かつて、現在の高知空港の滑走路部分にあった、命山。標高29.6m。南海トラフ大地震で津波が押し寄せる度に、地域の住民の避難場所となり、多くの命を救ってきた命山。避難タワーも大切だけど、場所があれば、命山をつくろう、ということを幾度も書いてきた、このにっこりひまわり。
その後、いくつかの「命山」計画が動き始めました。そして、今月15日、つまり来週、初めての命山が、高知市内に完成します。
工事現場に掲げられている現場看板には、工事名「竹島公園整備工事」と書かれており、命山のことは何も書いてません。でも、高さ7mの人工小山は、津波による水位の上昇が予想されるあの地区の、大切な避難山となる予定です。命山。
今日は、高見山のライオン岩から撮影してみました。左下。人工的な土盛りが見えますね。あそこが、来週完成の「命山」。やっと、一つ、できました。
浦戸湾は、西孕と東孕の半島に守られて、10mを超えるような大きな津波は起きない地形だとされてます。でも、津波はやってくるし、地盤の沈降によって長期浸水も予想だれる。
そんな状況の中で、あの命山が、大切な役割を果たすことになるのかも、知れません。
7年経過し、やっとひとつ。南海トラフ大地震は、もう、いつきてもおかしくない状況なので、僕らのやらなければならないことは、自ずと決まってくる。
間もなく、14時46分18秒。
7年が、今、経過しました。
ずっと向き合う。ずっと思う。