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ハクモクレンの朝、掛川の職人〔5442〕2018/03/10

ハクモクレンの朝、掛川の職人

2018年3月10日(土)晴れ

良いお天気。春。一斉に、花が咲き始めた感じ。あちこちに黄色い菜の花が咲き乱れ、そしてハクモクレン。

写真は、堀詰から南へいった中央分離帯の、ハクモクレン。今年は遅い。ハクモクレン、結構気温などの環境に敏感で、咲き始める時期は年によって差があります。ここのハクモクレン、今から11年前の2007年には、2月23日に満開を迎えてました。

 

堀詰の風景。そんなに変わってません。が、電車通り沿いの質屋さんの建物、取り壊されてます。何になるんだろうか。

かつて、堀川(松渕川)は、八軒町を囲むような逆U時型の池から、現在の松渕川公園の南を東進し、この写真の界隈で北に流れを変えて堀詰で堀川につながってました。

その、ここの南北の川が、上級武士の住む郭中と、下級武士や町人が住む下町の境目。今はもう、なんの痕跡も残ってません。

かつて、追手前小学校の校区はこっから西で、こっから東は新堀小学校校区でした。今は、統合されてはりまや橋小学校になり、同じ校区になってます。

 

この東。ちょっと、風俗系の建物が写ってます。高知では、歓楽街や赤線などの風俗の町は、色んな場所で変遷してきた歴史があります。

藩政期の、高知の色街については、まだまだ研究が遅れていて、僕はあまり知りません。布師田のような、街道の宿場町に結構存在したことは、知ってます。江戸に品川みたいにね。

明治になり、郭中が上級武士の町ではなくなって、街全体の構造が劇的に変化していく。その中で、上町5丁目界隈に色街、歓楽街ができ、「上(かみ)の新地」と呼ばれるようになる。

鏡川河口、稲荷町界隈の埋め立て地を中心にも歓楽街ができて、「下(しも)の新地」が完成。高知の二大歓楽地ができました。

その後、戦争を挟んで変遷。5丁目は、その風景の中に赤線時代の名残を留め、僕より上の世代のおじさんたちの記憶の中にも鮮明に刻まれているものと思われます。

下の新地は、戦後、かつての歓楽街の名残は消え失せてしまいました。その変わりに、戦後になって、帯屋町界隈が商業の中心になるにつれて歓楽街もその周辺にできていく。

この東、堺町の南部分。掛川町。掛川町が中心になり、東へ、朝倉町、弘岡町と、色街が形成されていたと言います。知らんけど。

掛川町の西の南与力町で生まれ育った僕は、掛川町が、新しいスタイルの風俗街へと変化していくのを目の当たりにしてました。

でも今は、嘗ての賑わい、ないですよね。風俗街ではありますが。世の中の流れでしょうか。

 

掛川町は、山内一豊さんが土佐へ入国し、ここに城下町を建設した際に、前任地の遠州掛川から、大工さんや鍛冶屋さんなどの職人を連れてきて住まわせた町。だから掛川町。

現在は、別の意味の職人さんが、活躍しておられます。

 

それはさておき、今日は、今から会社で、販売店さんに集まって頂いての意見交換会。新商品もありますし、皆さんに色んなご意見を出して頂いて、たくさんのお話ができることをずうっと楽しみにしてました。懇親会もありますしね。

さあ。気合いを入れて、頑張ろう。


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