市民球場ライトスタンドと、原爆ドーム〔5441〕2018/03/09
2018年3月9日(金)曇り
今朝は広島。昨日の午後、汽車でやって来ました。高知から岡山向きの特急は普通に走ってましたが、西の、須崎と窪川の間が大雨で運転見合わせ、となっていました。かなり降ったみたいですね。
昨日は広島で、お客様の会合。そして元キリンビール代表取締役副社長の田村潤さんの講演を聴きました。僕らにとっては、元高知支店長の田村さんだ。高知での支店長時代に、営業の成果をあげる答えは現場にしかない、ということをとてつもなく徹底し、本社と喧嘩しながら業績をV時回復させ、その実績で四国支社長、東海支社長、副社長と栄進された田村さん。どの場所でも、すごい成果を残した伝説の人物。
その成功体験をまとめた「キリンビール高知支店の奇跡」は、新書にして30万部近く売れているというすごい本。
高知時代、仲良くさせて頂いたので、とても嬉しい。講演は本当にすごかった。僕も頑張らなくっちゃ。
今朝は5時に起きて広島市内をRUN。
旧広島市民球場。2009年4月に、現在のズムスタが稼働始めるまで、繁華街に近いこの場所に市民球場がありました。弱小の時代。常勝軍団の時代。長い低迷の時代。それぞれの時代を生き抜いてきた旧広島市民球場。北へ行くと広島城。すぐ南西に原爆ドーム。ナイターが終わったら、そのまま流川へ直行できる立地でした。
その跡地をどうするか。これは、広島市民の間でも大問題で、議論が行われているようだ。屋根付き広場案が、行政が提示している案だけども、サッカースタジアムにしてサンフレッチェの本拠に、という声も市民には多い。どうなるんだろうか。
ここにあった市民球場に対する広島市民の思い入れは、すごいものがあります。ズムスタ移転後、取り壊し作業が始まると、スタンド保存の声が上がって、現在、ライトスタンドの一部が残ってます。球場の北側の小高い丘の上から、そのライトスタンドと、その向こうの原爆ドームを撮影してみました。手前の、廃墟のような構築物が、元ライトスタンド。
Googleマップだと、こんな感じ。本当に一部だけ、ライトスタンドが残ってます。
地理院地図では、まだ、ここが市民球場だった頃の航空写真が見れる。
そして地理院地図の航空写真では、原爆が落とされた後の航空写真も、見れます。
破壊し尽くされた広島の町。
現在平和記念公園になっている、太田川の中洲にも、何もない。でもそこは、昭和20年8月6日までは、広島でも有数の賑わいがある繁華な町だった。
地理院地図の航空写真を見ると、町がたどってきた運命、歴史を鳥瞰することができ、いろいろと考えさせられます。
この廃墟のようなライトスタンドと原爆ドームの風景も、いつか見られなくなります。でも、そこに込められた広島の人々の思いは、残ってゆく。
町づくりは思い。町づくりは思想。