春を忘るな、春な忘れそ〔5432〕2018/02/28
2018年2月28日(水)晴れ
春の朝。明日からは、もう、3月。風景は春の中に霞み、花粉症の皆さんには辛い季節が訪れました。本日、高知県地方の花粉予報は「多い」。「非常に多い」ではありませんが、そこそこ飛ぶにかありません。
写真は今朝、5時前の潮江天満宮。誰もいない、静かな静かな天神様。その参道両脇に、道真公ゆかりの牛の臥像。その臥像に覆いかぶさるように咲く、梅の花。飛龍梅黄、と看板が掲げられた梅の古木。樹齢は200年を超えると言われる梅の古木は、今、満開。とは言え、上の方だけね。どうしてか知らんけど。
どうしてか知らんと言えば、なぜ、この梅は「飛龍梅黄」なのか。いやね。飛龍梅というのは、わかる。龍が飛んでいるような姿の梅の木だから。しかも、道真公と言えば飛梅で、天神様に飛龍の梅があるのは、わかる。でも、なぜ、「黄」が末尾についているのか。ネットで調べてみたけど、それらしい答えはありませんでした。飛龍梅黄。たぶん、ひりゅうばいおう、と読むんだと思うけど、なぜ、梅黄なのかは謎だ。
梅で黄色と言えば、梅の実が黄色く色づくことを思います。黄色い梅の実と関係ありそうだけど、謎だ。また、どうでも良いような話で朝からすみません。
どうでも良い話と言えば、道真公の、梅の花に関する和歌についての考察。
東風吹かば 匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて 春を忘るな
東風吹かば 匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ
道真公が、時の権力者藤原時平の讒言によって大宰府に左遷され、京を離れるときに詠んだ歌。有名極まりない、和歌。俺が居なくなっても、ちゃんと咲いてくれよ、馥郁たる匂いをさせてくれよ、という切ない思いが伝わるよね。
太宰府天満宮の飛梅は、京の邸の梅が、大宰府の道真の家まで飛んできた、という伝説の梅だ。
で、この和歌には二種類のものが伝わっている。「春を忘るな」と「春な忘れそ」。
拾遺和歌集が最古の掲載例とすれば「春を忘るな」で、大鏡が最古だと「春な忘れそ」。
どっちも、春を忘れちゃダメだよ、という意味だ。
どっちが正しいか。というか、どっちが素敵か。
素人判断だと、「春な忘れそ」の方が、なんとなくかっちょぶー。言い回しに凝った歌に聴こえる気がする。でも、同じようにダメと言うていても、「春な忘れそ」は、ただ、ダメと言うているだけで深みがない、とする人もいます。「春を忘るな」は、本当は忘れてしまうかも知れないけど、願わくば忘れないで欲しい、みたいなそんな道真の思いが滲んでいる、と。
なるほど。そう言われてみたら、そんな気もする。
今日の高知の天気予報は、西の風のち南東の風、非常に強し。西からの風が黄砂を運び、花粉を飛ばし、そして強い東風。こち。
今日の高知には、春を告げる風が吹く。