玉垣から想像すること〔5402〕2018/01/29
2018年1月29日(月)晴れてるみたい
まだ真っ暗い時間なので、はっきりしたお天気はわかりませんが、晴れの予報。今朝の冷え込みはそんなに厳しくは、ない。このところ冷え込み過ぎたですきんね。これっぱあなら過ごしやすい。
写真は今朝、4時頃の潮江天満宮。参道脇の玉垣を撮影してみました。こんな時間に神社の玉垣を撮影する人、完全に不審者だ。
で。この玉垣は大正13年に御寄進された、と、太い柱に刻まれてます。大正13年か。関東大震災の翌年。干支は甲子。そう。甲子園球場ができた年。
御寄進者の名前を見てみると、土居トミさん、土居ウシさん、土居トラさんと並んでますね。姉妹でしょうか。誰も結婚しなかったのか、まだ幼い三姉妹なのか、母と娘二人なのか。
勝手に想像してみるに、お母さんが土居トミさん。で、まだ結婚年齢に達してない二人の娘がウシちゃんとトラちゃん。年子やね。
トミさんは、富に恵まれますように、と付けられた名前でしょうか。ウシさんとトラさんは、丑年、寅年の生まれの可能性が、高い。で、大正13年時点で、まだ結婚年齢に達していいない丑年、寅年と言えば、大正2年(癸丑)生まれ、大正3年(甲寅)生まれ。この玉垣に刻まれる土居ウシさんは大正2年生まれの11歳、トラさんは大正3年生まれの10歳。そうに違いない。
なんという推理。ホームズみたい。もしくは、9マイルは遠すぎる、みたい。
ところでトミさんもウシさんもトラさんも、その名前の上には「大坂」と刻まれている。そう。大坂。右の柴谷浅枝さんも、大坂だ。大阪ではなくて。
大阪は、かつて、大坂と表記されていたのはご承知の通り。浪速の地が「大坂」と広く呼ばれるようになったきっかけは、蓮如さん。このにっこりではお馴染みの上町台地北端、現在の大阪城の場所に、15世紀末に石山本願寺を建てた蓮如さん。蓮如さんの文書に「大坂」という地名が出てくるそう。それまでは「おさか」であったという話もウィキに書いてますが、とにかく、上町台地の先っぽだから坂があり、その坂が地名の由来になったのも間違いない。更新世段丘、上町台地のおかげで、大坂。
いつから大坂が大阪になったのか。江戸時代から大阪という文字は使われているけど、大阪が一般的になったのは明治になってから、と、これもウィキに書いてある。その理由も諸説あるみたいですが、真相は知りません。
この玉垣が御寄進されたのが大正13年。大正13年になっても、まだ、大坂という文字が使われているのがこの玉垣の興味深いところだ。土居さんや柴谷さんが「大坂」にこだわっていたのか、これを刻んだ石工さんが「大坂」と思い込んでいたのか。
なんということはない、こんな風景の中から、これだけのことを妄想できるというのは、ちょっとした能力なのかも知れない。役に立たんけど。
観察力と想像力を、もっと違う方面で発揮し、世の中の役に立たんといけません。
さあ。月曜日。仕事仕事!