高知空港、吉田茂、期待を乗せた飛行機〔5403〕2018/01/30
2018年1月30日(火)晴れ
今日は東京。朝一便の飛行機に乗ってます。
昨夜の会合で聞いたのですが、宿毛市が、明治22年築の林家の邸宅を再生させるためのクラウドファンディングを組んでおったんだ。四国銀行と宿毛市、つまり金融機関と地方自治体が組む、という珍しい取り合わせのクラウドファンディング。第一目標金額の100万円は達成し、現在はネクストゴールに向けて、明日までやっておるようです。
林邸というと、宿毛出身の政治家、林有三が建てた家。明治22年築で、なかなかゆかしい風情の建物にかありません。行ったことないけど。
林有三の息子は林譲治、その子が林ゆう。三代続けて大臣というのは、なかなかないらしい。僕が直接知っているのは林ゆうだけですが。
宿毛と言えば竹内綱、その息子の竹内明太郎に吉田茂。これも林家の親戚。林有三は岩村家から林家に養子で入っており、実の兄が岩村通俊、実の弟が岩村高俊。
以前、宿毛の海運会社の立田社長さんと話をしておりましたら、立田家も、係累なんだそう。
もうね。綺羅星のごとく、有名な人たちが繋がっている、宿毛人脈。
岩村高俊と言えば、戊辰戦争に従軍して、小千谷で河井継之助と会談し、継之助の「会津藩を説得する」という提案を一蹴して、長岡藩の激烈な戦いへと導いた人物として、司馬遼太郎の「峠」とかでも有名だ。
岩村通俊については、北海道、札幌の円山公園を走った際に、銅像をご紹介してます。
で、銅像と言えば今朝の写真。高知空港の、吉田茂像。
林家とも親戚関係になる、吉田茂。もうね。説明するまでもない、戦前英米派の外交官にして、戦後の宰相。
選挙は高知でやりましたけど、生まれたのは東京。あんまし高知には縁がなかった吉田茂ですが、まあ、竹内綱の息子ですきんね。お兄ちゃんは竹内明太郎だし。最近、小松製作所の創業者として、時々高知でも名前を聞くようになった、竹内明太郎。早稲田大学理工学部設立の立役者でもあるし、高知工業高校にも胸像がある、竹内明太郎。
高知空港の吉田茂像は、以前、もっと北の植え込みにありました。なかなか普通には近づかんような場所。こんな感じでこんな感じでこんな感じ。
空港道路の工事で、空港ビルの横に移ってきたので、以前よりは馴染みやすくなったけど、あんまし目立ちませんな。
吉田茂像は、皇居、北の丸公園にもあります。あちらは洋装。こちらは和服。
戦前は矜恃の外交官として、三国同盟に反対。その立場から、戦後は首相となって日本の復興に努力。ワンマン宰相でしたが、ポピュリズムに流されない矜恃があった、政治家と言えましょう。
高知にはほとんど居なかった宰相なので、高知空港に立っている、というのも、らしいと言えば、らしい。
さあ。今日は東京に、高付加価値の牛乳乳製品をつくるメーカーが集まります。僕も、その一員。面白い話をたくさん聞くことができそうなので、期待期待。
修学旅行生を乗せた飛行機は、みんなの期待を乗せて、東京へと飛んでゆく。